カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

ビスマルク

これも、2か月以上前に読んだ本です。飯田洋介著『ビスマルク―ドイツ帝国を築いた政治外交術』(2015年、中公新書)。
世界史の授業では、必ず聞く名前です。鉄血宰相、普仏戦争に勝ち、ドイツを統一した大政治家として有名です。また世界で初めて社会保険制度を導入したことを、ご存じの方も多いでしょう。プロイセンとドイツの首相を、27年間も務めました。とはいえ、そのイメージだけで、どのような人生を送ったかは、案外知られていません。評伝なども訳されているのですが、分厚くて・・・。私も、読んでいません。新書版は読みやすくて、ありがたいですね。
これを読むと、決して順調な政治家人生ではなかったのです。しかし、彼が何を目指し、どのような手法で、何を実現したのか。大政治家と呼ばれる所以がわかります。社会と国家と世界を、どうとらえるか。その範囲と見方の広さ。そして、何を実現するのか。そのために、政治は何ができるか。その構想力の大きさです。
ところで、ビスマルクの言葉で「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」が有名ですが、原文は少し違うようです。この言葉は、本書では紹介されていません。

参考文献

季刊「レヴァイアサン」2004年春号(木鐸社)が、「政官関係」を特集しています。飯尾先生の論文は、日本の議院内閣制は、本来とは違う運用がなされていること、それは「官僚内閣制」とでもいうものであって、別途「与党」が議院内閣制を代替している、というものです。真渕先生の論文は「萎縮する官僚」です。第10章「政治と行政の在り方」の議論の参考になります。(2004年5月5日)
長谷部恭男著「憲法と平和を問いなおす」(2004年4月、ちくま新書)は、表題からのイメージとは異なり、立憲主義(憲法)の意義・機能・限界や、平和主義の可能性を述べたものです。これまでの憲法学の教科書のような解釈学でなく、また「政治的主張」でもありません。
憲法や平和、その基底にある正義などを相対化した、政治学的分析と言えるでしょう。民主政治とは何かを考える上で、大変参考になります。拙著「新地方自治入門」第8章では、先生の前著「比較不可能な価値の迷路」を引用しました。
櫻田淳著「国家の役割とは何か」(2004年3月、ちくま新書)は、国家の役割を「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」の3つから、わかりやすく説明しています。もっとも、この説明は、恫喝・誘導・説得の3つの手段から見た説明です。私は、「新地方自治入門」では、このような見方は、「行政の手法」p236~と「国家が調達するものと提供するもの」p269~で説明しました。
しかし、そのような手段や仕組みの考察だけでは満足できないので、より広く政治に期待される「役割や機能」を、「公の機能とは」p222~で議論しました。政治の仕組みを価値中立的に分析する(抽象化する)だけでなく、政治は何を目指すべきか、アウト・カムを視野に入れた議論をしたいからです。(2004年5月16日)
中島誠厚生労働省生活習慣病対策室長が、「立法学」(法律文化社)を出版されました。九州大学助教授に3年間出向した際の、講義をまとめたものです。内容は日本の立法過程論で、省内過程、政府内過程、与党内過程、国会内過程の段階ごとに説明しています。そして特徴として、官僚主導、不透明な与党審査、不透明な国対政治、形骸化した国会審議を挙げています。
問題関心は、「政と官のありかた」です。アカデミズムがこれまで実務と距離を置き、現実の問題に正面から取り組んでこなかったことを批判し、それへの「解答」として執筆されたものです。現職官僚がアカデミズムも意識して書いた、内容の濃い本です。類書がないので、関心ある方には大いに役立つと思います。
中島さんは、私の富山県庁時代の同僚です。私のアイデアを「デルクイ」に作り上げてくれました

勢力均衡や覇権でない国際秩序・その2

引き続き、ジョン・アイケンベリー教授の主張です。
リベラルで民主主義的な世界秩序は、戦勝国アメリカが主導したものです。それは、いくつかの原則によって成り立っています。
1つは、経済の開放性です。1930年代のイギリス、ドイツ、日本によるブロック経済と世界経済の崩壊を、再び起こさないためです。平和で安定的な世界秩序のために、経済の開放性は必須だとアメリカは考えました。
2つめは、西側政治経済秩序を共同で管理するという原則です。これも、1930年代の経験から学びました。一国による押しつけや、相互の敵対的競争ではなく、制度やルールを作り、参加各国によって共同管理するのです。
教授はまだいくつかの原則を挙げていますが、ここでは主要な2つを紹介しておきます。

そして教授は、戦後アメリカの国際的なパワーは、一方的な力の行使ではなかったと主張します。
すなわち、リベラルで民主主義的な世界秩序は、西側各国の参加による共同の管理によって成り立っています。制度やルールづくりがアメリカによって主導されたのは事実ですが、多国間の条約による安全保障と貿易、多くの国が参加するいくつもの国際機関によって成り立つこの秩序は、大国にとっては「面倒くさい」ことです。小さな国も、超大国アメリカと一応は対等の立場に立って、交渉します。
しかし、超大国がその力を背景に一方的に押しつける秩序は、相手国に不安と不満を生みます。それよりは、双方の合意による秩序は、強固です。戦後、圧倒的はパワーを持ったアメリカは、使おうとすればできたパワーを抑制し、西側各国を安心させ、味方につけたのです。
勢力均衡や覇権主義でない、共同管理の秩序であり、ルールによる支配です。そのルールを、参加各国が作ります。小さな国にも、発言権があります。もちろん、すべて平等ではなく、大国が拒否権を持ったりします。この手続きには、手間暇がかかります。
武力や経済力による「力の押しつけ」ではなく、「制度や場」による権力です。スーザン・ストレンジが提唱した「関係的権力」と「構造的権力」と、同様の見方です。
権力が一元化した「世界政府」がない、主権国家の集まりである現在の世界政治では、これが最良の策なのでしょう。

とこで、この本では、日本とドイツは「半主権的な限定的大国」と位置づけられています。NATOや日米安保条約によって、この2国は、国際条約の下で行動や軍備に制限を受けます。それによって、戦前のような軍国主義・冒険主義に走ることを防いでいます。
その見返りとして、アメリカは両国の防衛を一部肩代わりし、安全を保障します。それは日本とドイツにとってのメリットだけでなく、アメリカとともに、日独の周辺国にも安全をもたらします。そのような見方もあるということですね。

皆保険50年

昭和36年(1961年)に、国民健康保険ができ、国民皆保険が達成されました。それから半世紀になります。9月24日の朝日新聞は、それを記念したシンポジウムを特集していました。興味深い点を紹介します。詳しくは、原文をお読み下さい。
ファインバーグ米国医学研究所理事長の発言から。
・・日本は、保健分野で世界最高の成功を成し遂げた国の一つだ。中程度のコストでこれだけのことを実現できたこの国から学びたい・・
より質の高い健康を実現するには、効率的なシステムをつくらねばならない・・課題は様々だ。公的負担と私的負担のバランスをどうとるか。看護師や薬剤師といった専門職の役割分担をどうするか。最も効率の良い組織をつくるにはどうした良いか、医療の質をどう維持するか。システムを継続していくにはコストをどう抑えていくかなどがあげられる・・
日本は、皆保険を世界に先駆けて達成し、維持してきた。今度は21世紀型の保健改革をどう遂げていけるか。どのような選択をとり、どういった行動をとるのか、見せていただきたい。

池上直己教授の発言から。
医療の抜本改革と言われるが、日本は抜本改革をしたこはなく、漸進的調整を繰り返してきた。皆保険達成の第1期は健康保険法が成立した1922年から敗戦まで。社会保険が設立された目的は、社会主義運動の阻止と、国力増強のための労働者の健康増進だった・・国民の保健加入率は、戦争中の43年に70%までいっていた。次は戦後期。敗戦後、福祉国家の構築が目標になった・・61年に最後の市町村に国民健康保険が設立され、漸進的なアプローチによってついに皆保険が達成された・・
ところが、その後、人口の高齢化が進み、医療費に占める高齢者の割合がそれを上回って増加した。2005年には高齢者は人口で20%だが医療費の半分を占め、25年には人口で30%になるが、医療費においては3分の2にもなる。そうなると漸進的調整の限界が生じる。社会保険の主要な機能はリスクの分散、つまり加入者が病気になった時の備えから、若年者が高齢者の医療費を賄うメカニズムに移行してきている・・

ホートン英医学誌ランセット編集長の発言から。
・・今回、ランセット誌がなぜ日本に来たのか。日本が直面する問題は、他の先進国が近い将来、向き合う問題でもあるからだ。私は、日本はグローバルヘルス(国際的な健康問題)のバロメーターだと思う。肥満や糖尿病、精神病などの問題に、コストを上げず質を保ちながらどう対処していくか。他の国も多くのことを学ぶことができる。
一方で、保健システムの進化は国内だけの問題ではない・・また、他の国からあまり評価はされていないが、日本のグローバルヘルスへの貢献度は高い。教育や研究開発のレベルはトップクラスだ。壊れかけたグローバルヘルスへどう貢献していくか注目される・・

『ヴィリー・ブラントの生涯』

質の高い本を読んだときの満足感は、どのように伝えたら良いのでしょうか。1週間以上かかって、グレゴーア・ショレゲン著『ヴィリー・ブラントの生涯』(邦訳2015年、三元社)を読みました。内容も重いし、判型も大きいので、寝ながら読むのには適していないのですが。1960年代、東西対立が激しい時代に、西ドイツ首相として東方政策を進め、ソ連や東ドイツと和解したブラントの伝記です。
私も子ども時代のことなので、詳しくは知らなかったのですが。プロレタリア的な家庭に婚外子として生まれ、ナチスに抗して長期間亡命し、戦後帰国してから粘り強く社会民主党内を上り詰め、また党の方針を大胆に変え、分裂しそうな党をまとめます。そして、遂に首相になります。しかし、疲れ果て、身近なところに東のスパイがいたことをきっかけに失脚します。ワルシャワを訪問した際に、ナチスの犠牲になったユダヤ人記念碑の前でひざまずく写真が有名です。その写真は、本書のカバーにも使われています。しかしこの行為も、国内では大きな議論を呼び起こします。
その経歴だけでも波瀾万丈なのですが、しばしば鬱状態になったり、党内でライバルと厳しいつばぜり合いを繰り返します。長年連れ添った2番目の妻と離婚し、3番目の妻と結婚。しかし、これも問題を引き起こします。人間味あふれる伝記です。
ブラントの後を継いだヘルムート・シュミット首相の『シュミット外交回想録』(邦訳1989年、岩波書店)などは、同時代として読んで、感銘を受けました。これは政策について書かれたものです。他方、『ヴィリー・ブラントの生涯』は、第三者が伝記として書いたものです。政策だけでなく、権力争いや人間性まで描き出しています。本人の強さも弱さも。
ブラントとシュミットとの間に、そんな確執があったとは知りませんでした。党内争いに勝ち、国内の対立を収め、東西冷戦の間で国の舵取りをする。政治の世界がいかに厳しいものか、勉強になります。
翻訳がこなれていることも、読みやすい条件ですね。少し専門的で重いですが、お薦めです。