カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

戦争孤児

8月10日の朝日新聞オピニオン欄は、金田茉莉さんの「孤児たちの遺言」です。

・・・72年前の終戦の後、東京・上野の地下道は浮浪児であふれ、数え切れない子どもたちが餓死し、凍死しました。生きた証しすら残せず、「お母さん」とつぶやき、一人で死んでいった・・・浮浪児と呼ばれた子どもの大半は戦争孤児です。学童疎開中に空襲で家族を失った子もたくさん路上にいました。だれも食べさせてくれないから、盗みを働くほかなかった。不潔だ、不良だと白い目でみられた。「浮浪児に食べ物をやらないで」という貼り紙まで街頭にありました・・・
・・・当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。「生きていないと親に会えない」と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、「お母さん、どこにいるの」と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました・・

戦争孤児については、このページでも、何度か取り上げたことがあります。政府として十分な支援をしなかった、というより責任を果たさなかったことについてです。
何度読んでも、涙が出てきます。ひどいことをしたものです。両親を失い、だれも助けてくれない。子供が一人では、生きていくことはできません。ひもじい思いをして、両親を思い出しながら、ある子どもは生き抜き、ある子供は餓死していったのです。
戦争中も大変な暮らしを強いられましたが、身寄りをなくした子供たちにとっては、戦後の混乱期のほうが過酷でした。大人たちも、生きていくのに精一杯だったのですが。
政治と行政の責任を痛感させられます。

東日本大震災でも、大勢の遺児や孤児が生まれました。子供たちが困らないように、行政やNPOによる支援がなされています。もっとも、心の傷を埋めることはできません。

アメリカ抜きの国際制度

朝日新聞7月19日、藤原帰一・東大教授の「「アメリカ第一」の皮肉 弱まる世界への影響力」から。
・・・トランプ政権が発足してから半年が経った。その間に明らかになったのは、トランプ大統領の下におけるアメリカが国外への影響力を失いつつあることである。
その一面は、アメリカ政府の自発的な行動の結果である。「アメリカ第一」を掲げるトランプ政権は、政権発足直後に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱し、二ログイン前の続きつの首脳会議、G8とG20においてアメリカ以外の諸国が反対を明示したにもかかわらず、環境保護に関するパリ協定からも離脱した。各国がアメリカを追い出そうとしたわけではないから、アメリカが意図的に退いたわけだ。
だが、アメリカが抜けた後にも国際的制度や機構は揺らいでいない。日本は欧州連合(EU)と経済連携協定について大枠合意に達し、TPPについてはハノイでアメリカ抜きのTPP11実現を目指す閣僚会合が開かれた。パリ協定についても、アメリカを除くG8・G20諸国は支える方針で一致している。貿易でも環境保護でもアメリカの撤退はアメリカなき国際合意への道を開いたのである。もしアメリカ政府が、アメリカが国際協定から離脱すれば各国が動揺し、国際協定の再交渉に合意するのではないかと期待していたとすれば、その期待は裏切られた・・・
・・・問題は、トランプ氏が政策遂行を専門家に任せようとしないことだ。この情勢が変わらない限り、つまりトランプ氏がトランプ氏であり続ける限り、アメリカの後退は続き、日本もEUも、アメリカ抜きの国際体制を作ることを強いられる。トランプ氏はアメリカを弱くした指導者として歴史の中で記憶されることになるだろう・・・
原文をお読みください。

説明責任

7月19日の朝日新聞オピニオン欄、「説明責任はどこへ」。
井上達夫・東京大学教授の発言から
・・・アカウンタビリティーは説明責任と訳されますが、私は「答責性」と言っています。ただ説明すればいいというのではなくて、きちんと説明しないと責任を問われて首が飛ぶという緊張感ある概念です。政治家の場合は選挙で落とされ、官僚の場合は解任されたり左遷されたりする・・・

小田嶋隆・コラムニストの発言から
・・・説明責任という言葉をメディアが使う場合は、こういう人にこういう種類の説明責任を問うと、範囲と対象を明確にする「報道責任」があるのではないでしょうか。
日本社会では、アカウンタビリティーはメディア側では首を要求する言葉になり、責められる側では誰の首を差し出せば決着するのかを考える言葉になっているような気がします。
アカウンタビリティーを「説明できる状態での業務遂行を推奨する概念」と表現するべきだと思います。少なくとも、自信を持って説明できる状態で自分の職務に取り組むということです。米英的な民主的で明快な組織運営の中で、個人が緊張感を持って組織と対抗していくなかで出てくる発想です。
しかし、日本の組織は誰の業務なのかがわからず、「みんなでやっています」となっています。問題が起こった時に誰が責任を取るのかといえば、その時に偶然、課長の椅子に座っている人だったりします。単なるトカゲのしっぽ切りのようになって、政治家でいえば秘書に責任を取らせるようなことが起こります・・・

砂原教授の新著

砂原庸介・神戸大学教授が、『分裂と統合の日本政治ー統治機構改革と政党システムの変容』(2017年、千倉書房)を出版されました。砂原君は、昨年からカナダ・ブリティッシュコロンビア大学で研究中です。

今回の著書は、これまでの論文を整理加筆したものです。著者が、「地方政治と国政との、国政と地方政治の関係(その不十分さ)」について、この10年近く研究を重ねてきた成果です。
著者の言葉を借りれば、「選挙制度改革と地方分権改革を踏まえて国政と地方政治で統合のあり方がどう変わったかを議論しているものです。今回の都議選でも明らかなように、現状で最も政治的資源を持つ政治家は(内閣のトップクラスを除けば)知事であり、知事への統合が国政政党の分裂をもたらすと考えています。そういった背景をもたらす制度的な要因として、地方議会の選挙制度の問題点を論じてその改革を主張しています」。

民主党政権の失敗を元に、次のような説を立てています。
・・・なぜ自民党と民主党による二党制は十分に制度化されてこなかったのか。本書はその要因を、国政とは異なる選挙を通じて知事・市長や地方議員が選出される地方政府が重要な権限を持つことにより、「地方」で国政とは異なる独自の政治的競争が展開されることに求める・・・(p19)。
・・・もとより国政政党にとって、地方議員に規律を及ぼすことは容易ではない。一方で選挙制度改革によって、政党執行部が国会議員対して規律を強めることができたとしても、他方で地方分権改革を通じて強化された知事や市長が国会議員や地方議員に対する影響力を強めることになると、国政政党の地方に対する影響力はますます衰える。有権者と政府の意思決定をつなぐ政党システムを制度化することを考えるならば、国政と地方政治の関係を再構築する制度的な整備が必要であろう・・・(p31)。

自民党は政権党として、利益分配によって、地方政治家を「吸収」します。他方で、社会党は反対党として、また労組の支えによって、国政でも地方政治でも一定の支持を集めました。しかし、2大政党制を目指した小選挙区制がもたらしたのは、反対党と期待された民主党の凋落です。大阪維新の会、都民ファーストという地域政党が、党首の魅力によって地域で大きな支持を得ます。しかし、それは国政にはまだ反映されません。

日本の政党政治を議論する際に重要でありながら、これまでは国政と地方政治とは合わせて議論されることが少なかったです。また、国政政党が「足腰を強くする」ためには、国政政党が地方政治家を「統合する」ことに力を入れることが必要です。時の「風」を期待するのではなく、地域から政党組織を強くする必要があります。
地方議会の選挙制度改革で必要であると、著者は主張します。重要な視点の分析の書であるとともに、今後に向けての提言の書です。

「1人政党」と政党の役割

7月6日の朝日新聞オピニオン欄「自民大敗の底流」、宇野重規・東大教授の発言から。
・・・注目すべきなのは、党首が非常に強く、候補者は誰でもよいといった「1人政党」の問題です。安倍晋三首相と小池百合子知事が衆院議員に初当選した1993年の総選挙では、細川護熙さんが日本新党のブームを起こします。その後も、郵政解散の小泉純一郎首相、橋下徹さんの大阪維新の会、今回と続いてきました。これだけ次から次へと1人政党が生まれ、旋風を起こす国は日本だけでしょう。米国で、いくらトランプ大統領がかき回しても、二大政党は残っています。仏総選挙では、「共和国前進」などマクロン大統領の陣営が躍進しましたが、中道政党の結集という側面があり、1人政党とはいえません。
政党は、民意を吸い上げて政策体系、パッケージをまとめ上げる機能と、時間をかけて訓練と選別を重ね、国政を担いうる経験と人格を備えた人材を育てる機能を持っています。1人政党は、そうした機能を放棄し、瞬間風速だけを重視します。そうなると、風を受けたカリスマやスターの交代劇だけが政治になってしまいます・・・

原文をお読みください。