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行政-官僚論

官僚制問題の責任者

今日は、佐々木毅先生「守屋問題と政官関係」、『公研』2007年12月号から。
守屋問題は・・改めて、官僚制に対する監督責任の問題を、浮き彫りにした・・この責任問題は、政と官との接点に関わる極めて重大な論点を含んでいる。私のもっとも理解できない点は、あれだけ官に対する批判を口にする政に、官に対する監督責任を自ら引き受ける覚悟がほとんど見られないという点である。政権党であれば、政策をコントロールすることは勿論のこと、それを効果的に実現するためにマシーン(官僚制)の整備に配慮することは当然のはずである・・現状は、官が自己統治をしているというべき状態にある・・
私は大連載「行政構造改革」(第2章四)で、官僚機構の管理と評価は政治の責任であることを主張しています。もちろん、現在指摘されている官僚問題は、官僚自身に責任があるのですが、民主制において行政を監督する責任と権限は政治にあります。この部分は、2008年2月号に載る予定です。

キャリア官僚の責任

16日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅教授の「閉塞状態から脱出するには」でした。そのうち、官僚制に関わる部分を一部抜粋します。詳しくは原文をお読みください。
・・今年は・・政治の話題に事欠くことはなかった。しかし、外見上の派手な動きにもかかわらず、総じて気が滅入るような雰囲気が社会全体を覆っている。その原因の一つは、相次ぐ「行政の失敗」である・・
行政の感度の鈍化は、行政不況のような由々しい事態を招いている。労働市場において、公務員という職種が「負け組」になっているという指摘はいわれて久しい。これでは、劣化は進むばかりである。放っておいて、事態が改善する見込みはない。このままでは、公務員集団は社会の中で異物化しかねない。
かくして公務員制度の改革は「やるかやらないか」という選択の問題でなく、「いつやるか」という選択の問題になった。生かしうる人材を生かすためにも、それは欠かせない。当然のことながら、「政権は握っていたい、しかし使用者責任は御免だ」という話はもう終わりにしなければならない。政権に使用者責任がないといった話を、もはや誰も信じていないのである・・

キャリア官僚の責任

22日の読売新聞は、社会保険庁問題を、2ページにわたって特集していました。堀田力さんが、次のように書いておられます。
「・・労働組合の責任が大きいのは当然だが、組合を言い訳に何もできなかったキャリア官僚の責任も重大だ・・」
官僚の一人として、とても残念に思います。私も、組織の不祥事の実態究明・お詫びをしてきました。それとともに、これまで日本社会で信頼を保っていた行政組織・官僚機構が信頼低下していることについて、危機感を持っています。それは、このような不祥事だけでなく、官僚の仕事の成果が社会の期待に応えていないことから、生じています。
日々の業務において失敗を起こさないこと、よりよい結果を出すことは当然です。それ以上に、後輩たちに少しでも良い環境を残したいと思って、仕事をしています。連載「行政構造改革」は、その危機感から執筆しています。

変わる公務員の働き方

19日から朝日新聞は「働く」で、公務員の働き方を、職員一人ひとりを追いかける手法での連載を始めました。初回は、「リストラの嵐、役場へ。増える仕事、減らされる給与」です。親方日の丸だとか、首にならないといった、これまでの公務員像が変わっていることを、明らかにして欲しいですね。