カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」108回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第108回「「国のかたち」の設定─平等と倫理」が、発行されました。
前回から、政府による社会(狭義)への介入を説明しています。公共秩序の形成、国民生活の向上の次に、「この国のかたちの設定」をとりあげます。

それは、倫理、慣習、国民の共通意識(社会意識)などへの関与です。これらを政府の役割として取り上げると、疑問を持つ人もいるでしょう。「内心には、国家は関与すべきではない」「慣習は、社会で自然とできるものだ」とです。
日本国憲法は、この国の基本を定めた法律です。そこでは、統治機構と人権について定めています。人権の規定は、基本的人権の尊重、幸福追求権、法の下の平等など、「社会の善悪」を規定しています。社会倫理の基本を定めているのです。

政府が行う「この国のかたち」の設定について、倫理、慣習、社会意識の順に検討します。今回は、平等、差別の禁止について考えます。憲法が法の下の平等を定めただけでは、平等は実現しません。その事例を取り上げます。

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
「2社会と政府(2)政府の社会への介入」のその2を書き上げ、右筆に手を入れてもらって、編集長に提出しました。その1は経済への介入で、12月半ばに提出しました。
その2は、社会(コミュニティ)への介入です。一気に書き上げることができず、まず3回分を提出し、これが2月掲載分になりました。ようやく残りを書き上げて提出すると3回分になり、これが3月掲載分になります。

現在書いている部分も内容が広く、参考となる書物がないので、苦労しています。締めきりに追われて、考えていることを文章にするので精一杯です。文章としては未熟です。それを、右筆が完成させてくれます。ありがたいことです。

連載「公共を創る」107回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第107回「政府とコミュニティーの関係」が、発行されました。
前回まで、政府による経済への介入を説明しました。今回からは、社会(狭義)への介入を説明します。19世紀に支配的だった近代市民社会の理論では、市場との関係と同様に、社会への政府による介入も最低限にするべきと考えられました。しかし実際には、政府はさまざまな介入をして、役割を広げてきました。

まず、公共秩序の形成と維持があります。民法が、日常生活に必須の財産関係と家族関係を規定しています。関係者間に合意があれば問題はありませんが、もめ事が起きた際の基準を決めておくのです。また、国民の安全を守り、生活の向上を目指すことは、国家の主要な役割です。
これらは、多くの人たちが政府の役割として納得するでしょうが、次に示す項目は政治学や行政学の教科書では詳しくは取り上げられません。
それは、倫理、慣習、国民の共通意識(社会意識)などへの関与です。ここでは、それらを包括して「この国のかたちの設定」と表現しましょう。

倫理は善悪の判断です。それは個人の内心の問題だから、国家は関与すべきでないという意見もあります。慣習は社会で自然とできるもの、社会意識も国民の間で共有されているものなので、政府が関与するものではないという考えもあります。
しかし、政府は、これらにも関与せざるを得ません。また、「公共を創る」という本稿の趣旨からは、これらも私たちが安心して暮らしていく上で重要な要素です。そのような主張から、これまでも「この国のかたち」について、いろんな場面で取り上げてきました。というか、「これまでの行政学や公共政策学が対象としている範囲が狭い」というのが、この連載のもう一つの趣旨なのです。

連載「公共を創る」106回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第106回「産業政策の転機」が、発行されました。前回に引き続き、産業政策について振り返っています。

日本産業が世界最高水準になると、追い付き型の産業政策は終焉を迎えました。政府主導ではなく、企業が自由に行動できるように、各種の規制を撤廃することが求められました。各省が業界を指導する事前調整型行政から、事後監視型行政へと、政府と民間の在り方の変更が進められました。これ自体は必然的であり、必要なものでした。
しかし、先進国も後発国も日本の成功を見て、産業振興策に力を入れたのです。国家主導経済の中国だけでなく、アメリカもヨーロッパもです。そして、日本の経済力は相対的に低下しました。
もっとも、産業政策だけに経済の停滞の責任を負わせるのは良くないでしょう。新しいことに挑戦しない企業と社員、生産性の低い職場なども問題です。

生産性では、農業や中小企業の低さも指摘されています。農家と中小企業を保護する政策は、生産性の低さを温存したと指摘されています。
産業政策を広げて見ると、科学技術振興、通商政策などもあります。
さらに、政府による経済への介入、国民を豊にする政策には、雇用確保や労働者保護もあります。

私がここで主張したかったのは、大学で教えられている公共経済学が扱っている範囲が狭いことです。主に市場経済の欠陥是正としての財政の3機能と外部不経済を説明し、市場経済が機能する基盤整備、産業政策、国民生活の向上まで視野を広げた説明がないのです。
経済学の目的は、市場経済の分析ではなく、国民生活の向上でしょう。

連載「公共を創る」105回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第105回「産業政策と日本の発展」が、発行されました。
前回から、政府による市場経済への介入を説明しています。今回はその3番目「国民を豊にする」政策です。そこには、産業政策、科学技術振興、雇用確保と労働者保護、社会の持続などがあります。

まず産業政策です。財政の経済安定化機能とは別に、特定の産業について計画や規制、財政や税制などの手法を用いて支援が行われます。
1991年のバブル経済崩壊後、幾度となく巨額の経済対策が打たれました。それは景気低迷を抑える効果はあったのでしょうが、日本の産業が世界の競争から落後することを防ぐには効果がありませんでした。この30年間、先進国や中進国が経済成長を続けたのに対し、日本は停滞しました。1人当たり国内総生産(GDP)で米国などに差をつけられ、韓国に抜かれました。景気刺激策と産業政策とは別なのです。

日本は明治以来、産業政策を重要な国家政策として進めてきました。それが、一時は世界第二位の経済大国を実現したのです。