カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」執筆状況

恒例の連載「公共を創る」の執筆状況報告です。
相変わらず、締め切りに追われる、自転車操業が続いています。本業やら講演活動やらで、なかなかまとまった時間が取れません。いつも同じことを言っています。かつては、書きためて余裕があったときもあったのですが、最近はどうもいけません。
それでも、締め切りに遅れたことがないのは、健康であることと、雑な原稿に急いで手を入れてくれる右筆のおかげです。

月に3回の連載となると、同時に4本の原稿が走っています。1月26日に第141回が掲載されたばかりですが、現時点では、第142回(2月2日号)が完成し、掲載を待っています。第143回(2月9日号)は、編集長の了解を経て、校閲を待っています。第144回(2月16日号)を、編集長に送りました。私は、次の第145回(3月2日号)を書いています。こんな状態ですから、気をつけないと頭の中が混乱するのです。
その合間を縫って、コメントライナー(9回)の原稿も書いています。我ながら、よくやっています。

全体の構成では、第4章 政府の役割再考 2 社会と政府(3)社会をよくする手法、を書き進めています。その中で、「大きな政府と小さな政府」「市場への新しい介入手法」「行政改革」を終えて、次回からは「行政の手法」に入ります。
この部分は、執筆に入る前に、まだ骨格が整理できていません。関連情報を知人の教授らに教えてもらうなど、勉強中です。どうなることやら。

連載「公共を創る」第141回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第141回「近年の行政改革における問題点」が、発行されました。前回から、行政改革を振り返り、改革で目指された政治主導の現状を評価しています。

第2次安倍内閣と菅内閣では、政治主導や内閣主導ではなく、官邸主導という形が定着したようです。「官邸一強の弊害」という批判もあります。その一つは、官僚たちが官邸からの「指示待ち」になったというものです。
ただし、「官邸一強」と呼ばれるのは、官邸と各省官僚との関係だけで、与党と内閣・官僚たちの関係は変わっていないようです。官僚は、官邸の了解を取ることとは別に、与党の了解をも取らなければならないのです。政治指導の一元化は、されていません。
また政治改革も、道半ばです。二大政党制は定着せず、国会での党首討論も開かれません。政党の政権公約についても、マニフェストは定着しませんでした。

行政改革の話に戻すと、公務員数の削減は業務にしわ寄せが来ています。そして、新しい仕事に取り組まなくなったように見えます。

連載「公共を創る」第140回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第140回「政治主導を巡る近年の状況」が、発行されました。前回から、1990年代と2000年代に大きな改革が行われた後、どのような改革の取り組みが行われてきたかについて、説明しています。今回は、政治主導、官邸主導、内閣人事局の設置を取り上げました。

全体を通してみると、その後の改革の取り組みは下火になりました。他方で、行われた改革は、後戻りすることなく定着しています。
課題は、制度を変えればすむものでなく、運用を変える必要があるものです。それは特に政治主導についていえます。これについては、まだ道半ばであるというのが、私の評価です。

民主党政権が、官僚を排除した政治主導を目指しました。東日本大震災被災者支援本部事務局で、松本防災大臣や仙谷副長官から「責任は取るから、君たちは思う存分働け」と指示をいただき、私を含めた官僚たちは力を発揮することができました。各府省幹部との連絡を密にするため、廃止された事務次官会議に代わる情報交換会議も作ってもらいました。それが後に、次官たちが集まる各府省連絡会議に発展しました。そのような記憶も書いておきました。

連載「公共を創る」第139回

連載、新年第一回「公共を創る 新たな行政の役割」の第139回「行革を巡る近年の動き」が、発行されました。
前回まで、第3期(1990年代と2000年代)に行われた個別の行政改革を説明しました。今号は、同時期に行われた政治改革などと、その後の取り組み(小さな政府、財政再建、行政の効率化、規制改革)を説明します。