カテゴリー別アーカイブ: 経済

経済

公的債務の返済

22日の朝日新聞「クルーグマンコラム」、「ギリシャに学ぶこと。引き締めは番狂わせ招く」から。
・・ギリシャの公的債務は、GDPの113%と実際に高いが、ほかの諸国も同水準の債務を抱えながら、危機を経験せずに済んでいる。例えば、第2次世界大戦から抜け出して間もない1946年のアメリカでは、連邦政府の債務がGDPの122%に達していた・・その後の10年間で、対GDP比はほぼ半分に削減され、1981年には33%という低い水準になった。アメリカ政府は、戦時中の債務をどうやって償還したのだろうか?
実際は、償還などしていなかったのだ。1946年末時点で連邦政府は2,710億ドルの債務を抱え、1956年末には2,740億ドルとわずかに増加した。債務の対GDP比が下落したのは、債務自体が減ったからではなく、GDPが増加したからだ。つまり、アメリカのGDPは、10年間でほぼ倍増した。GDPの上昇は経済成長とインフレーションの結果にほぼ等しく、1946年から1956年にかけて、実質GDPと全体的な物価水準は、ともに約40%上昇していた。残念ながら、ギリシャは、同じような成果は期待できない・・。

市民社会と会社法制

13日の日経新聞経済教室に、上村達男早稲田大学教授が、会社法制改革について書いておられました。私が興味を持った点を、要点だけ紹介します。
・・戦後の経済改革は、「経済の民主化」や「証券民主化」といわれたように、それまでの財閥中心の体制を個人ないし市民中心の体制に転換させようとしたものであった。その理念は、米国流の人民資本主義であり、市民が株主となって企業社会をコントロールする、企業社会と市民社会の結節点としての証券市場を構想するものであった。
しかし、その時点では、市場を担えるような資産を持った個人も市民も存在せず、証券市場抜きの株式会社制度が戦後日本の企業社会を特徴付けた。資金調達は銀行をはじめとする間接金融中心であり、株式会社とは経営者にとって経営の道具であり器でしかなかった。株式市場を支える個人層のいない日本では、法人株主が主役となった。
貧しい日本がこうした行き方によって急速な経済発展を遂げたこと自体は肯定されるべきだ。しかし、ルールや制度・規範という観点からすると、それは「いまだ戦後」なのであり、公正な証券市場の存在とそれに対応する株式会社制度の存在、そしてそれを可能とする法的システムの整備を通じて実現された成功とは言えない・・
そして教授は、株式会社が本格的に証券市場と対峙する状況にふさわしい、株式会社制度を提唱しておられます。これまでの株式会社法は、株を持っている株主だけを考えていた。株主からのガバナンスであり、株主への説明責任です。しかし、株の保有者である株主だけでなく、「株の買い手」である投資家(公衆・市民社会)と、「株の売り手」である投資家の、3者への責任を自覚した法制をつくるべきだ、と言っておられます。
経済社会と法制度の関わりを、明快に分析したご主張だと思います。極めて短く紹介したので、詳しくは原文をお読みください。

経済活動の基盤づくり・税制

19日の日経新聞が、「海外の稼ぎ、国内へ。企業の配当、非課税化で22%増、09年4~12月」を伝えていました。
これまでは、日本企業が海外で稼いだお金を配当として日本に戻すと、最高40%の税金がかかりました。それを避けるために、企業は現地法人に内部留保を貯めます。その額は2007年に、20兆円にもなっていました。
2009年度の税制改正で、4月から、海外からの配当をほぼ非課税にしました。すると、この記事の見出しにあるように、4~12月に海外子会社や現地法人から国内に戻ってきた配当は、約2兆円と前年同期に比べ2割増えたのです。
当時、「そんなことをしたら、税収が減る」という意見も聞きました。でも、日本に返ってこない限り、課税はできません。日本に返ってきたら、そのお金は消費に回るか、投資に回ります。それが、日本経済を活性化します。そして、その時点で課税されるのですから、税収の面から見ても、問題ありません。
このように、税制というのは、経済発展のための重要なインフラです。

外国人旅行客

今日の日経新聞が、中国では春節(旧正月)の大型連休中、海外への旅行客は1200万人に達する見通しと、報道していました。今日、新宿の街やデパートを歩いたら、気のせいか、ふだんよりアジアからの旅行客が多かったです。
一昔前に、日本人が、香港、ハワイ、パリに行って、たくさん買い物をしました。アジアからの旅行客が、日本でたくさん買い物をしてくれることは、ありがたいことです。これまで日本人が海外で落としたお金と同じくらいのお金を、日本で落としてくれると「元が取れる」のですが(失礼)。ただし、彼らが日本で買うものが、ルイヴィトン、エルメス、グッチでは、日本にお金は落ちませんね。
また、明日はバレンタイン・デーというので、お店はチョコレートで一杯です。これも、ベルギーやフランス製が人気のようです。和菓子が好きな私としては、和菓子に頑張って欲しいです。

持田先生・続き

5 ナショナル・スタンダード
先生は、ここで、「ナショナル・スタンダード」という言葉を使っておられます。ナショナル・ミニマムという言葉は、よく知られています。「政府が国民全員に保障するべき最低限の公共サービスの水準」という意味です。(日本国憲法25条1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。)
これに対し、ナショナル・スタンダードは、最低ではなく、標準的な水準といった意味です。
私は、地方交付税制度を解説する際に、交付税が算定している(財源保障をしている)行政サービスの水準を、ナショナル・ミニマムではなく、ナショナル・スタンダードだと説明しました。
例えば、拙著「地方財政改革論議」(2002年、ぎょうせい)p80で、地方歳出の水準論として、この議論をしました。次のようにです。
・・国が定めている内容・水準と国が期待している内容・水準が、国の予算と地方財政計画に計上され具体化される。地方財政計画が含んでいる歳出内容・水準は、ミニマムというより、ナショナル・スタンダードと呼ぶべきものであろう。
法律では、地方交付税を「地方団体がひとしくその行うべき事務を遂行することができるように国が交付する税をいう」(地方交付税法第2条第1号)と定義し、また単位費用については「標準的条件を備えた地方団体が合理的、かつ、妥当な水準において地方行政を行う場合又は標準的は施設を維持する場合に要する経費を基準とし」(同条第6号)と定めている。ここでは「ひとしくその行うべき事務」とか「標準的」、「合理的、かつ、妥当な水準」という言葉が使われており、「ナショナル・ミニマム」や「最低限」といった言葉はでてこない・・
地方財政計画と地方交付税の歳出内容は、標準的=スタンダードであって、最低限=ミニマムではない・・・
ひょっとしたら、このような文脈で「ナショナル・スタンダード」という言葉を使ったのは、私が最初かもしれません。