カテゴリー別アーカイブ: 歴史

ローマ帝国末期、コンスタンチノープルの建設

田中創著『ローマ史再考 なぜ首都コンスタンチノープルは生まれたのか』(2010年、NHKブックス)を(だいぶ前に)読みました。
本の帯にあるように、古典古代でも、ビザンツでもないローマ世界です。副題にあるように、コンスタンチノープルの誕生からローマ帝国の首都になる過程を描いています。元祖首都であるローマに、取って代わるのです。どのようにして、それが実現するのか。

古代ローマ史といえば、私などはやはり、首都ローマで考えてしまいます。この本は、西ローマ帝国でなく、東と西に分裂する過程、そして東が優位に立つ過程です。
ビザンツ帝国になる前の歴史で、なるほどそうだったんだと、納得しました。
コンスタンチノープルを中心に、そしてそこを首都に仕立て上げた皇帝たちが中心に描かれます。皇帝も絶対君主でなく、推戴されないといけません。その際には、有力者たちの争いに巻き込まれます。皇帝一族に産まれると、幸せになれる場合と、とんでもない運命になる場合があります。

ジョエル・シュミット著『ローマ帝国の衰退』 (2020年、文庫クセジュ)が、書評欄で、訳者の解説が面白いと書いてあったので、読みました。その通り表題に偽りありで、物足りなかったのです。

中央政治の歴史です。人民(と呼べばよいでしょうか)や経済、社会は出てきません。もちろん1000年以上も前のことですから、資料が残っていないという制約もあるのでしょう。歴史学が、政治史から社会史や文化史に範囲を広げているので、そのような分野も期待したいです。

帝国以後のアメリカのあり方

9月13日の読売新聞、ティモシー・スナイダー、エール大学教授の「帝国以後のアメリカ 「再び偉大な国」幻想と弊害」から。

・・・トランプ氏は4年前の大統領選で「米国を再び偉大な国にする」と公約して当選しました。
私見では、虚構の国民国家への回帰をめざす無理な試みです。
国民国家は「一つの国民」の意識を共有する民族を主体とする統一国家です。米国は18世紀の建国時から「国家に帰属する白人」と「白人の所有する黒人奴隷」という大別して2種類の人間がいた。国民国家とはいえない。トランプ氏の「偉大な国」は白人・キリスト教徒だけで米国が構成された架空の時代を指しているようです。先住民を虐殺した史実も、奴隷を酷使した史実も忘れている。

米国史は帝国史です。北米大陸の東海岸、次に中西部、さらに西海岸へとフロンティアを征服して領土を広げる。帝国の拡張はアラスカとハワイを州として編入する20世紀半ばまで続きます。
米国はその後、東西冷戦で西側・自由主義陣営の盟主として世界秩序を担う。世界の帝国です。

ただトランプ氏が米国第一を唱えて国民国家への移行を試みたことには理由がある。米国は「帝国以後」の段階に入ったからです。
フロンティアを失い、連戦連勝の戦史も今は昔。冷戦後、世界の力関係は変わり、米国は帝国としての使命を見失います。白人らは世界に対する優越感を失い、感情を乱し、戸惑っている。
21世紀の米国の最大の課題は「帝国以後」の国造りなのです。
トランプ氏は白人らの感情の乱れに道筋をつけ、新しい国造りの力に変えることはしなかった。白人がルールを決める偉大な国家という神話を掲げ、結果として国内の有色人種や移民らに対抗させ、国の分断を加速してしまった。
コロナ禍に四苦八苦する米国を見ると、「帝国以後」の針路の過ちを思わざるを得ません・・・

後期近代か近代後期か

連載「公共を創る」を執筆していて、校閲さんから指摘を受けました。私の原稿に「近代後期」と「後期近代」が混在しているというのです。連載第54回(9月3日号)。

指摘を受けるまで、気づきませんでした。気にすることなく、どちらも使っていたのです。指摘されて、悩みました。その分野の専門家ではないので、どちらが正しいのか知りません。日本語としては、どちらでも良さそうですが。
宇野重規先生の『〈私〉時代のデモクラシー』 (岩波新書) を見ると、「後期近代」を使っておられます。そこで、後期近代で統一することにしました。

江戸時代後期、江戸後期とは言いますが、後期江戸時代、後期江戸とはあまり聞きません。初期明治、後期昭和はないわけではありませんが、明治初期、昭和後期といいますよね。
英語は、前期近代は Early modern period 後期近代は  Late modern でしょう。英語の場合は、形容詞が前に来ますから。日本語は、後ろに来ますよね。戦後 postwarも同じです。ラテン語やフランス語は、どうなのかな。

安倍首相の保守主義と時代

朝日新聞の「論座」、宇野重規・東京大学社会科学研究所教授の「戦後の保守本流と異なる安倍首相の保守主義が日本政治にもたらしたもの 分断の時代に適合したナショナリズムと政府主導の経済運営のミックスで長期政権を実現」(9月7日配信)から。

・・・これら三つの派閥のうち、高度経済成長期からそれ以降にかけて優位だったのは、経世会と宏池会の連合であった(田中角栄と大平正芳の親密な関係に象徴される)。清和会の流れは、劣位に立たされ続けた。
背景にあったのは経済成長と冷戦体制である。そのような時代においては、強いナショナリズムへの志向を持つ清和会よりも、経済主義的で公共事業による再分配を得意とした経世会・宏池会連合の方が適合的であった。
こうした状況が大きく転換したのが、1989年の冷戦終焉であった。アメリカの軍事的支援を自動的に期待できた時代は終わり、日本は独自の安全保障政策を求められるようになった。この時期、バブル経済の崩壊によって経済成長の時代が最終的に終わりを迎えたことと合わせ、戦後政治の「大前提」が大きく崩れたのである。

1990年代は「政治改革」の時代になったが、この時期に経世会が分裂し、宏池会の存在感が次第に低下したことは偶然ではないだろう。アメリカの軍事的支援の下、経済に専念することができた戦後日本の「保守本流」の時代は、「大前提」が崩壊によって終わりを迎えたのである。
2000年以降には、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と清和会出身の首相が続く。これらの首相の個人的プロフィールや政治理念は様々であるが、経世会が分裂し、宏池会が地盤沈下したことの必然的な結果であった・・・

・・・議論をまとめよう。
安倍首相による長期政権には、一定の歴史的必然性があった。安倍首相の保守主義は、冷戦と経済成長を前提とした戦後日本の「保守本流」に代わるべき、より対立的で攻撃な保守であり、中国の大国化などによって緊張感を増す東アジアにおいて、日本のナショナリズムに強く訴えるものであった。
ただし、このナショナリズム色をより前面に出した第1次政権が短命に終わったように、ナショナリズムだけでは長期政権は不可能である。第2次以降の政権を長続きさせたのはアベノミクスから「一億総活躍」に至る、安倍政権の「擬似左派的」な社会経済政策であった。それが戦前の革新官僚であった岸元首相に遡るものかはともかく、金融緩和と財政出動がデフレ状況を克服するにあたって、一定の効果をもったことは間違いない。
つまり、安倍首相の長期政権を可能にしたのは、ナショナリズムと政府主導の経済運営の独特なミックスであったと言えるだろう。この両者を一身に体現する存在として、安倍首相がきわめて「時代適合的」であったことは間違いない。
逆にいえば、安倍首相が退任を決めた今、はたしてこのミックスが持続可能かはわからない。二つの柱のどちらか一つでも崩れたとき、安倍政権を長期化させた基盤もまた失われることになる。

わけても、保守主義を標榜する安倍政権の下で、皇室のあるべき姿や日本の近代史をめぐる議論が進展しなかったことの代償は大きいだろう。保守主義の要諦である歴史的連続の感覚や、それを支える安定的な政治体制の確立は、安倍首相の長期政権をもってしても実現できなかった。むしろ議論の分極化や世論の分断が進み、コンセンサスから遠ざかったというのが、安倍政権の長期化の所産であったのではないか。
そのような状況において、いよいよ日本社会は未曾有の少子高齢化を迎える。国債の累積残高もついに900兆円を超えた。高度経済成長の遺産を食い尽くした日本の前に、いよいよ厳しい未来が待っている・・・

戦後の戦争研究

8月22日の読売新聞解説欄、吉田裕・元一橋大学教授へのインタビュー「不条理伝える静かな怒り」の続きです。「太平洋戦争の戦没者

・・・戦後の日本社会は軍と戦争を強く忌避します。歴史学界の場合、戦争体験を持つ若い世代は軍事史研究に携わることは戦争に再び加担することになると敬遠した。こうした風潮は戦争の現実から目をそらす傾向も生みました。
東京裁判も影響したのではないか・・・
・・・死刑になった指導者は、広田弘毅元首相を除くと皆、陸軍軍人でした。
東京裁判は米国主導です。ただ天皇の戦争責任は問わず、責任は主に陸軍に負わせることで日米が水面下で協力した側面もありました。
51年調印のサンフランシスコ講和条約は「東京裁判判決を受諾」と言及しただけで、日本の戦争責任を曖昧にしました。東西冷戦の深刻化と前年に勃発した朝鮮戦争を受けて、米国が日本をアジアの同盟国として重視した結果です。

日本が戦争責任を突きつけられるのは80年代、歴史教科書問題や中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝を巡って中韓両国が猛反発したことが発端です。
政府は90年代、村山首相談話などで侵略の歴史を巡る反省と謝罪を表明しました。安倍政権も村山談話を継承するとしている。
しかし、「反省と謝罪」が国内で広く合意を得ているとは思えません・・・