カテゴリー別アーカイブ: 歴史

9.11後の20年

9月7日の日経新聞文化欄「9.11後の20年」トーマス・フリードマン氏の「民族とグローバル、均衡を」から。
・・・東西冷戦の終結を受け、その後の国際秩序を予想する議論が出た。フランシス・フクヤマは自由経済圏が勝利し平和が来る「歴史の終わり」を予言したが、世界から紛争は消えなかった。サミュエル・ハンチントンは異なる文明同士が対立する「文明の衝突」を論じたが、実際にはイスラム教シーア派とスンニ派の対立のように、同じ文明内での衝突が頻発した。
私は「民族としてのアイデンティティー」と「グローバル化」という新旧2つのシステムがからみあい、共存する世界を予想した。トライバル(民族的)な欲求とグローバル秩序が時には綱引きを、時にはレスリングをしつつ均衡を保っていく構図だ。この予想はかなり的を射ていたと思う。
(14年に)ロシアのプーチン大統領はクリミア半島の併合に踏み切ったが、ウクライナの首都キエフには侵攻しなかった。中国は香港で引き締めを強めているが、台湾には侵攻していない。トライバルな欲求をグローバル秩序が抑え込むことに成功したからだ・・・

イギリス産業革命以前の起業家

ジョオン・サースク 著『消費社会の誕生─近世イギリスの新規プロジェクト』(2021年、ちくま学芸文庫)が、勉強になりました。

イギリスの産業の歴史と聞くと、産業革命を思い浮かべます。突然、革命が起きたのか。そうではありません。それ以前に、地方の町や農村に家内制手工業が発展します。亜麻布、靴下、台所用品などなど。政府や知識人たちは、穀物生産が第一、国内消費向けの産業育成より海外貿易重視です、しかし、農地を追われた人、働くところのない人たちが、これらの手工業に従事し、貧民対策としても広がります。副収入を得ることができるのです。
それらの多くは、品質がよくなく、また規格もバラバラです。知識人はそれを嘆きますが、これらの製品は輸出ではなく、国内で消費されます。貧しい人にとっては、立派で高価な品物より、少々粗雑でも安い物が受け入れられます。ここに、生産と消費の好循環が生まれます。16世紀、17世紀の発展です。

庶民の行動(収入を得たいという願望、身の回りのものを買いたいという欲望)が、社会を動かします。そして、一部の人の「新奇な行動」が各地の人たちに広がります。庶民の行動と通念の変化が、社会を変えていきます。

著者は、地方経済史の専門家です。かつての権力を中心とした政治史ではなく、地域社会から歴史を分析します。正確な生産や売買の記録はないのですが、残された記録を元に、議論を組み立てます。面白いです。
1984年に東大出版会から出版されたものが、今回文庫本になりました。このような学術書が簡単に読めるようになるのは、ありがたいですね。

全体主義に回帰する中国

8月19日の朝日新聞オピニオン欄、豊永郁子・早稲田大学教授の「習近平体制の本質 全体主義に回帰する中国」から。

・・・今や独裁の代名詞となった観がある権威主義だが、体制概念としての歴史は浅く、1964年に政治学者のホアン・リンスが提唱したのが始まりである。当時、独裁といえばヒトラーやスターリンの全体主義を意味したが、リンスは戦後も安定的に続くスペインのファシスト政権により穏健なタイプの独裁を見いだし、これを権威主義と名付けた。
権威主義は次の4点で全体主義と異なる。(1)経済的・社会的な多元主義、さらに限定された政治的多元主義が存在する(反対勢力が存在し得る)。(2)体系的で精緻なイデオロギーはないが、ある種の保守的な心理的傾向が支配する。(3)リーダーの権力は、明確に定義はされていないが予測可能な一定の範囲内で行使される。(4)政治的動員は弱く、政治的無関心が広く見られる。
右に照らせば、今日の習氏の体制は権威主義ではあり得ない。批判勢力は一掃され、起業家も文化人も市民団体も統制され、個々の市民も監視や動員を受ける。中国と習氏の偉大さを説くイデオロギーも誕生した。諸々のルールを吹き飛ばして自らの国家主席としての任期制限を撤廃した習氏は絶対的なリーダーに見える。バイデン政権が対峙しているのは「全体主義」中国ではないのか・・・

・・・では習体制は毛体制の再現となるのか。中国はもう共産主義経済ではないのでそれは違う。では何か。国家が掲げるイデオロギーには2種類ある。どの国にも採用可能な普遍的な理念やプログラムを掲げるものと、自国に固有の価値観や理想を掲げるものとだ。共産主義体制は前者を有したが、今日中国を導いているのは後者である。戦前戦中の日本のイデオロギーも後者であり、同盟国のドイツなどその危険性を極め尽くした。このタイプのイデオロギーを有する全体主義国家には特徴的な振る舞い(領土的野心の性質や人権侵害のあり方など)と陥りやすい陥穽(合理性の欠如や他国の反応の読み間違いなど)が存在する。これらについては日本とドイツの前例が多くのことを教えてくれる・・・

遅れてきた国家2

遅れてきた国家」の続きにもなります。
地域や国家の「進化」の速度の違いは、先進国に挑戦する後発国のほかに、後発国国民の先進国への流出も引き起こします。
現代の大量の難民も、その一つです。よりよい暮らしを求めて、後発国から国民が先進国へと逃げていきます。
また、後発国には、国家建設に成功した国と、まだできていない国や失敗した国があります。アフガニスタンは、後者でしょう。

国際社会は、各国の主権を認め、平等な国家の集まりという建前ですが、各国を見ると世界秩序への考え方の違い、経済格差、法の支配や政治の安定度が異なります。
法の支配や民主主義、基本的人権は、人が幸せに生活するための基本的仕組みです。長年の苦労の末に、人類がたどり着いたのです。しかし、その経験のない後発国にどのように根づかせるか。
押しつけても定着せず、押しつけを嫌う支配者は「内政干渉だ」と反発します。先進国も、革命や戦争などによって手に入れたものです。難しいです。

遅れてきた国家

世界の歴史では、繁栄した国や文明が、周辺の後発国や民族に取って代わられることがしばしば起こります。
繁栄した国も、当初は軍事力が強く、国家統一や周辺を征服するのですが。成功すると、軍事より生活を楽しむようになります。それを見た周辺国が、戦いを挑み、勝利します。中国の歴史、ローマ帝国の滅亡などです。
もちろん、戦争はこれだけでは説明できません。周辺国でないけれども、指導者が国民の支持を得るために、対外戦争を続ける国もあります。ナポレオンやヒットラーは、これに該当するのでしょう。そこには、政治指導者の夢、国民の支持、指導者の国民の支持のつなぎ止めなどの要素があります。

20世紀に大きな戦争を経験した西欧諸国は、「もうこんなことを続けるのはやめよう」と考えました。都市を消滅させることができる、人類を抹消することもできる核爆弾が発明されたこと、無差別攻撃の悲惨さ、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悪夢も、それを後押ししました。
ところが、周辺国は必ずしもそれに同意しません。「先進国は、さんざん好きなことをやっておいて、周辺国に、先進国の論理を押しつけるのか」とです。

さて、中国の膨張主義は、「歴史は繰り返す」を見せるのでしょうか。
戦争、領土拡張以外の分野で、国の強さを国民に見せ、国民も満足できれば、戦争を回避できるのですが。他方で、国民の「一流国になった意識」をうまく制御できず、軍隊を統制できないと、戦争が起きます。
現代の先進国の論理は、戦争を回避することが政治指導者の責務ですが、過去の歴史や遅れてきた国家の論理は、戦争をして国民に強い国であることを見せるのが政治指導者の役割と思われています。