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週刊誌『アエラ』インタビュー

6月19日発売の、朝日新聞の週刊誌『アエラ』(6月26日号)に、私の発言が少しだけ載りました。特集「自由民主党の研究」の中の、「立ち枯れてゆく霞が関」です。
この記事の一つの主題は、「官邸主導で官僚のモチベーションが下がっている」とのことのようです。私は、それに対し「官邸主導はあるべき姿」と異論を言っています。
もう一つの主題は、「内閣人事局ができて、官僚が萎縮している」とのことのようです。これに対しても、「昔から幹部人事は内閣承認だったので、人事局ができたからといって変わっていない」(運用の仕方である)と申し上げました。
そして、政策を提言し、実行するのが官僚であると、説明しました。

国会の役割

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「熟議は幻想か」、大山礼子・駒沢大学教授の発言から。
・・・議院内閣制における国会とは、立法府として内閣や議員が出す法案を審議し、修正するための場です。実際、フランスやドイツなどでは、政府が出した法案を一条ごとにチェックするなど実質的な審議がされる。与野党の指摘で頻繁に修正が行われています。
ところが日本では、政治論戦や日程闘争ばかりで、実質的な審議が深まりません。なぜか。最大の原因は、与党が法案を「事前審査」し、そもそも国会で修正するつもりがないところにあります・・・
・・・国民の目に見える形で、国会で与野党による法案の審議と修正が行われるようにするには、どうしたらよいのか。私は、欧州諸国のように内閣がいったん国会に出した法案を修正しやすくすることが変化の契機になると思います。
日本の国会法では、内閣が出した法案を修正するには、国会の承諾が必要です。もし内閣が修正を申し出ても、国会が承諾しなければ、内閣は修正案を出せません。そのため、内閣は事前審査と原案通りの成立にこだわり、与党もそれを受け入れる関係が定着してきました。
諸外国でも、政府と与党が事前相談はします。ただ、国会提出後も内閣が自由に修正できるため、日本ほどガチガチには固めません。与党議員も事前に法案を固めない分、国会で法案修正を求めることが多く、野党の指摘も反映される余地も生じます・・・

原文をお読みください。

己を否定できない人

6月17日の日経新聞夕刊コラムで、立川志らく師匠が「馬鹿論」を書いておられました。
師匠の談志が、「馬鹿の定義を状況判断が出来ない奴、今風の言い方をすれば空気が読めない奴としていた」と書いた後、次のように続けます。
・・・私は更に「己を否定できない奴」が馬鹿だと思う。馬鹿な奴は間違いなく他者を否定して己を肯定する。
私の弟子の中で辞めていく者が沢山いたが皆そうであった。落語界がおかしい、師匠の教え方が酷い、兄弟弟子に馬鹿がいる、云々。あっているところもあるのだが、こういう連中は常に世の中のせいにする。自分はこんなに頑張っているのにと嘆く。その頑張りが世間のいう頑張りには到底行き着いていないのに。当人は小さなコップの水を溢れさせているから頑張っていると主張するが、世間の頑張っているというのは大きなプールの水を溢れさせる事を指す。他者を否定して自分は間違っていないと思い込み、ここは自分がいるべき場所ではないと快適な場所を求めて辞めていく・・・

全文をお読みください。さすが噺家、切れ味が良いですね。
この手の人は自己中心で、「自分は間違っていない、相手や周囲が悪い」と決めつけます。拙著『明るい公務員講座』では、「天動説」(自分を中心に世界が回っている)としてお話ししました。
周りの人に意見を聞けば、自分の考えが世間の標準に比べ正しいか、間違っているかが分かるのですが。「人の意見を聞かない」ことがこの人たちの特徴なので、難しいです。

ドイツ、コール元首相逝去

コール元首相が亡くなりました。報道にあるように、ドイツ統一を成し遂げた名声は、永遠に残るでしょう。
かつて、このページ(2010年9月29日)でも書きましたが、東西冷戦は半永久的に続くと考えていた私にとっては、本当に驚きでした。
専門家であった高橋進先生が、『歴史としてのドイツ統一』(1999年、岩波書店)の中で、同じようなことを書いておられます。
・・戦後のドイツ外交を研究してきた者として、ドイツの統一は、私が生きている間はありえないというのが、染みついた公理であり、1989年11月9日のベルリンの壁の開放をみても、統一はまだ遠いという思いを拭い去ることはできなかった・・

大国ドイツが再び生まれることを恐れた、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長、ミッテラン・フランス大統領を説得し、東西ドイツ統一を成し遂げました。その際の一つの説得材料が、EUと統一通貨ユーロです。これらには、ドイツが単独行動しない「保障措置」としての役割もあるのです。
政治家が歴史を変える例だと思います。もちろん、きっかけは民衆によるベルリンの壁破壊です。しかし、そのチャンスにどのように統一を進めるか。無策では進まなかったでしょう。そこに、政治家の構想と実行力が試されます。世論と世界をどのように説得するか。バラ色のことばかりではありません。内政にあっても、遅れていた旧東ドイツ地域にてこ入れすることに多額の経費をかけました。また、旧国民間の「差別意識」の克服も大きな課題でした。

東西の壁崩壊から28年、ドイツ統一から27年。若い人は、あの頃の熱気と驚きを知らないのですね。
私が「見たもの」の中で、あり得ないこと(と思っていた)の第一はこの冷戦の終結とドイツ統一で、国内では東日本大震災でしょう。前者は人の世界、後者は自然ですが。

歴史の見方

J・H・エリオット著『歴史ができるまで』(邦訳2017年、岩波書店)が、勉強になりました。著者はイギリスの歴史家で、スペイン近世史が専門です。17世紀のスペイン帝国の没落を研究してこられたようです。

イギリスの学生であった著者が、スペイン近世を研究始めます。スペイン本国でも、凋落時代のことは、研究が進んでいませんでした。また、フランコ独裁政権時代でもあり、スペインの研究者も取り組まないテーマでした。
探していた資料は燃えてなくなっていたことが分かったり、残った資料を探して苦労を重ねます。みんなが取り組んでいないことに取り組む。
そしてその過程で、勃興してくるフランスとの対比、新大陸を含めた大国間の関係という「視角」を定めます。一国の歴史が、国内だけでなく、関係国との関係の中で位置づけられます。「トランスナショナル・ヒストリー」「比較史」です。

そしてその象徴として、ルイ13世のフランスを支えたリシュリュー枢機卿と、フェリーペ4世のスペインを支えたオリバーレス公伯爵とを対比します。その成果は、『リシュリューとオリバーレス―17世紀ヨーロッパの抗争』(邦訳1988年、岩波書店)です。中古本を見つけて、これも読みました。
二人が、それぞれの主君に信頼を得ることに苦労すること、宮廷内での抗争、足を引っ張る国内情勢・・。双方とも、国力の増進、国王の権力確立を目指し、また隣国との争いやそのための改革に取り組みますが、思うように進みません。外交・戦争が、内政の延長にあることがよくわかります。しかし、いくつかの判断の間違いが、スペインの没落を進めます。
伝記という個人に焦点を当てることが、現代の歴史学では「時代遅れ」とされているようですが、何の何の。経済や社会の分析だけでは、歴史は作られない。指導者の判断や役割も大きな要素になることが分かります。

あわせて、著者の『スペイン帝国の興亡』(邦訳1982年、岩波書店)も中古本で手に入れました。が、これはまさに古本の状態になっていて、読むには時間がかかりそうです。