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現在の執務室

広報チームが、記録のために、現在の執務状況を写真に撮ってくれました。「現状・取組」の下についている写真です。そのうち上の2枚は運営会議の様子、下の左2枚は当初の講堂での執務風景です。これは、かつて紹介しました(4月21日の記事)。
下の右が、現在の状況です。手前で資料を見ておられるのが上田審議官、その左奥で立って腕まくりをしているのが私。私の前に写っているのは、プレハブ庁舎で熱いので、机の上で回っている扇風機(とほほ・・)。その右に写っているのは、手前から、N企画官、H参事官(後ろ姿)、M参事官、E参事官(後ろ姿)、M参事官たちです。

申し訳ないことに、私は両袖机(引き出しがあります)ですが、職員たちは会議机で引き出しもありません。机に載らない書類などを、横に置いたパイプ椅子や床に並べています。元の省にいたら、課長として立派な机にいた職員も、ここでは会議机です。30数人が、ここに詰め込まれています。適当な部屋がなかったので、こういう状態です。
良い点もあります。私も、個室ではなく大部屋に職員と一緒にいるので、仕事の様子がよくわかります。職員も、すぐに私に報告や相談ができます。私も、すぐに職員に声をかけることができます。ちょっとしたことを聞くのに、次長の個室に入る、あるは私が個室から出ていくのは、めんどうですよね。その点、大部屋は便利です。
もっとも、それは悪い点でもあります。職員にとっては、一日中、目の前にうるさい上司がいるのです。さらに、一生懸命仕事をしているときに、私がつまらないギャグを飛ばすので、迷惑でしょう。たぶんこの写真も、みんなは仕事をしている、私はそれを邪魔しているという状況でしょうね(苦笑)。

避難者の数

全国に避難しておられる方々の数を、調べています。今日は、その2回目です。前回は6月2日現在で、今回は6月16日現在の数字です。
それによれば、避難所におられる方は全国で約3万1千人、2週間前と比べて1万人減りました。かなりの減少です。東北3県以外の避難所には、約2千人避難しておられます。
他方で、住宅への避難者は3県以外で2万8千人、前回と比べ約5千人の増です。この調査では把握できていませんが、3県の住宅(仮設、公営、民間)には4万3千戸に入っておられ、この戸数は前回に比べ1万4千戸増えています。1戸に1人入ったとすれば1万4千人、2人とすれば2万8千人が新たに入居しておられます。よって、避難所やそのほかの施設に入っておられた人の減少は、この住宅に移られたものと推測できます。
なるべく早く避難所を解消し、住宅に移ってもらうことが、重要な課題です。

悲観論が、日本をさらに悪くする

朝日新聞19日の別刷りGLOBEに、アメリカの投資会社会長ウィルバー・ロスさんの「震災でも揺るがぬ技術力、成長への楽観取り戻せ」が載っていました。
・・1980年代から90年代の初めまで、日本人はやる気とエネルギーに満ち、誰もが日本の成功を確信していた。欧米諸国は真剣に日本に脅威を感じたものだ。あれから日本人の心理にいったい何が起きたのか。
バブル崩壊後の長期停滞で、日本の若者には成功体験がないから、とも言われる。だが私自身、大恐慌が尾を引く時代に生まれ、20年代の米国の繁栄を体験していない。それでも、我々の世代は楽観的だった。大恐慌でも前へ進もうとする「精神」は死ななかった・・なぜ日本の若者はこれほどまでに失望しているのか。悲惨さでいえば、第2次大戦の焼け野原からすべてを始めた彼らの親より上の世代は、もっと大変だったが、もっと楽観的だった。前に進む意欲があった。その子どもたちは将来を悲観している・・
日本の若い世代の「憂鬱」は震災が起きる前から続く現象だ。リーダーたちは何とかして、彼らが再び誇りを感じられるように、高いことを成し遂げたいと感じられるように差し向けなければならない。悲観主義の下では大きな経済成長は望めない・・
経営者が意気消沈していたら、その下で働く人たちにやる気を出せといっても難しい。日本人が必要以上に将来を悲観し、落胆していることに、日本が抱える問題の多くの原因があると思う。日本人には高い職業倫理と技術力がある。ほんの少し米国流の楽観主義を導入すれば、可能性を引き出せるのではないか・・

同感です。指導者や経営者は、悲観論やあきらめを示すのではなく、若者に元気な姿を見せるべきです。そして、マスコミも自虐的な悲観論を増幅したり、第三者的な批判を繰り返すことを止めて欲しいです。もちろん嘘はいけませんが、第三者的批判と悲観論からは、何も生まれません。批判をするなら、代案を出さなければ。

被災者支援本部事務局3か月

被災者支援本部事務局が3月20日に発足して以来、3か月が経ちました。このホームページでも紹介してきたように、最初は混乱の中での立ち上げで、仕事もどれから手をつけたらよいかわからないくらいの忙しさでした。その後、5月21日の記事にも書いたように、仕事の内容はおおむね3つの時期を経ました。
被災者支援としてはいろいろと行き届かない点もあったと思いますが、事務局の仕事の運営としては、そこそこうまく行ったと自己採点しています。それは、次のような点です。

1 政務職と事務職による運営会議
政務職(職業政治家)と事務職(職業公務員)が、定時に集まり議論する形を取りました。責任を持つ政務職と、制度知識を持つ事務職が、協力する場です。そこに持ち込まれる問題点を検討し、事務職が回答する、各省にかかわる事案は各省に指示を出す。いわゆる司令部としての機能が、有効に働いたと思います。もちろん、各省の協力があったからです。
課題と方向は政務職が指示する、その処理は事務職が行い報告する。きちんとした役割分担ができました。
しかも当初は毎日開催し、出された課題は翌日回答が原則です。調べてもわからない数字や調査に時間がかかる実態は、「不明」として報告しました。直ちに処理できないものも、とにかく早く対応することが原則です。
政務職は防災大臣、総務大臣、官房副長官であり、関係深い事案を責任を持って議論できました。また事務職も、各省から政策を担当している課長・企画官が集まり、効果的な議論はもとより、分担を超えて各省に直結する役割を果たしてくれました。
すなわち、この会議で、責任ある回答を、迅速に行うことができました。

2 何でも引き受け各省に指示を出す仕事の仕方
事務局は、自ら事業をしていません。発災直後は、物資を調達し配送するという事業は行いましたが、主な仕事は持ち込まれる問題の解決を各省に指示することです。事務局は、形式的な権限や予算を持っていません。実際の事業は、制度と予算と知識を持っている各省に任せることが、効果的です。事務局がそれをやろうとすると、各省との二重行政になり非効率です。
ただし、被災者支援にかかわることなら、何でも引き受けました。事務局に聞けば、持ち込めば、回答がでるなり担当省につないでもらえます。「それは私の所管ではありません」という回答はありません。都合の悪い情報を運営会議にあげないという対応も、ありません。
すなわち、事務局は必ず答を出す、ワンストップ・サービスです。

3 現場主義
課題については、各省が何をしたかではなく、それが現地で実現しているかどうかを確認しました。いくら良い施策を打ち出しても、被災地の市町村職員が理解していないと、意味がありません。避難者が知らないと、やったことにはなりません。
避難所調査や現地対策本部職員による実情の把握、そして現場で市町村長と意見交換をすることで、問題点や要望を聞きました。その際の要望などには、1週間をめどに、文書で回答しています。聞きっぱなしにしません。できるだけ早く、確実に返事をするのです。
現地には、政務職と事務職が一緒に入って、責任ある対応ができるようにしました。
すなわち、現地の立場に立った仕事を心がけました。

4 情報公開
持ち込まれた課題や見つけた問題は、良いことも悪いことも、運営会議に報告しました。そしてその結果を次々と公開して、外部の人に見せました。完璧を目指さず、まずは仕事を進める。そして、外部からの批判も受けるようにしました。
公表資料には、すべて連絡先を記入しました。さらなる質問を受け付けられるようにです。
すなわち、情報は公開し、指摘を受けることができるようにしました。

今振り返ると、「すべてに逃げず、早く、責任を持って」と「政務職と事務職が協力し役割分担して」という基本が、できたのだと思います。もちろん職員がこれらを実現できるように、「明るい職場」も心がけました。

1,000年に1度、100年に1度、20年に1度、10年に1度

急に気が向いて、積ん読だった、ヌリエル・ルービニほか『大いなる不安定―金融危機は偶然ではない、必然である』(2010年、ダイヤモンド社)を読み始めました。ルービニは、2008年の世界金融危機を予想した学者の一人です。この本は、今回の金融危機を過去のバブルと崩壊(そこには日本の1990年代のバブルと崩壊も含まれます)と比べ、同じようなことを繰り返していることを分析しています。今回は別だと関係者は主張しますが、構図は毎回同じであることが示されていて、面白いです。さて、金融危機の防止と起きた際の対策は大きな問題ですが、私は次のようなことを考えました。

今回の巨大津波は、1,000年に一度のことといわれています。世界金融危機と同時不況は、100年に一度のことといわれました。そのような視点で見ると、原発の重大事故は、スリーマイル島原発事故が1979年、チェルノブイリ原発事故が1986年、福島原発事故が2011年ですから、20年1回としましょう。無差別大規模テロは、地下鉄サリン事件が1995年、アメリカ同時多発テロが2001年です。世界各地では頻繁に起こっていますが、新型で驚くべきものは10年に1度と考えましょう。
私たちは予想外のことが起きると「想定外」「未曾有」と表現します。しかし、地球の外から1,000年や100年単位で観察している人がいたら、巨大津波も世界金融危機も、「定期的に起きる事案」であって、そんなにびっくりすることではありません。原発の重大事故も、無差別大規模テロも、同じです。本人にとって交通事故は一生に一度の大変なことですが、救急隊員と警察にとっては、毎日起きている事案です。

私たちが1日とか1年という時間の単位で生活し、一生はせいぜい100年です。それに対し、上に述べたことを極端に単純化すると、巨大津波ような自然災害は1,000年の単位で、金融危機という経済システム事故は100年という単位で、原発事故といった科学技術の重大事故は20年、無差別大規模テロといった人の情念による重大犯罪は10年という単位で起きています。それぞれその時間単位で見ると、想定外でもなく、未曾有でもないのですね。関係者が、そのうちに忘れてしまうのでしょうか。