岡本全勝 のすべての投稿

時代の雰囲気と歌

日経新聞は文化欄で、第2次世界大戦と敗戦を知る作家たちに、大震災について語ってもらう連載をしていました。その締めとして、8月6日朝刊に、宮川匡司編集委員が「求められる時代の歌」を書いておられます。
・・戦争を肌で知る作家・詩人の声を聞き、ある共通点に気がついた。どの人も現在の日本に、大きな不安や暗さを感じている。あの時代より暗いと感じるのは、なぜなのか。
1950年代から80年代まで、日本は右肩上がりの時代を生きてきた。しかし、バブル崩壊からリーマン・ショックへと至る時代の閉塞感は、一通りではない。この大震災は、その果てに起きた。戦中戦後を生きてきた方々の憂慮のわけは、そこにある。
財政の破綻、原発事故対策の遅れ・・・。嘆くべき材料を数え上げたらきりがない。ただし、日本人は政治・経済・科学技術の方策だけで混乱を乗り切ったわけではない。
かつて焼け跡には「リンゴの歌」が流れていた・・「青い山脈」もまた、そんな歌の一つ。「古い上着よ さようなら/さみしい夢よ さようなら」。暗い戦争の記憶を振り払うようなこの歌は、戦後を生きる人々を、どれだけ鼓舞したことだろう・・
不安が絶えない今だからこそ、人々が心を寄せる「時代の歌」がいる・・

救援物資の保管と仕分け、配送の無償協力

先日、国際空港上屋株式会社に、お礼に行ってきました。被災者支援のために、企業からもたくさんの物資が寄付されたことは、皆さんご承知のとおりです。海外からも、たくさんの物資が寄せられました。それらは主に成田空港に到着します。
それを一時保管し、物品ごとに仕分けし、搬送する必要がありました。実は、これが広い場所を取り、大変な作業なのです。この保管と仕分けを無償で、協力していただいたのです。しかもモノの性格から、事前に計画的に届くわけではありません。突然大量に届くのです。それらにも対応してもらいました。ありがとうございました。
また、それを被災県まで運ぶ搬送についても、DHLジャパンが無償で協力してくださいました。それぞれ、大臣名でお礼状を出したのですが、お会いしたいとの申し出があり、私の方からお礼に行きました。

物資を寄付してくださるのはありがたいのですが、いくつかの地方団体が個人からの寄付を一時断ったように、その保管と仕分けさらには個人への配達は、大変な作業なのです。これは、政府が調達する物資にも共通します。被災者支援チームのホームページでも紹介しましたが、調達と搬送に仕組みと人手がかかります。自衛隊には、大活躍してもらいました。また、中継拠点で物資がたまり困ったので、仕分けの専門家に助けてもらいました。
モノは、被災者にわたることと写真で「目に見える」のですが、このような作業やサービスは、一般の方には見えにくいです。私も携わって、初めて知りました。

関係者の皆さん、ありがとうございました。たびたびこのようなことがあっては困りますが、次回はこれを教訓に、円滑に行うようにします。

復興提言、政治の関与のないプロセス

8月7日読売新聞1面コラム「地球を読む」は、御厨貴教授の「3.11後の政治」でした。
・・3.11から5か月が過ぎようとしている。「戦後は終わり、災後が始まる」と、あの折感じた人は決して少なくなかったはずだ。「国難」という言葉が、久しぶりに日本人の口の端に上ったのも事実だ。だが今、我々の胸をよぎるこの脱力感は一体何なのか。
今度こそ、政治が変わると思ったのに、今の体たらくはこれは一体何なのだ。しかも、解法がすべて行き詰まってしまったという無力感にさいなまれる日々なのではないか。
私はこの間、政府の「東日本大震災復興構想会議」の議長代理として、6月末の「復興への提言」の答申に力を尽くしてきた・・
しかし、有り体に言えば、「提言」をまとめるプロセスに、与野党ともに”政治”は全くと言ってよいほど、関与も介入もしなかった。菅さんだけが、独自の発想と考え方に基づき支え続けたということである。
推進力を徹底的に欠いていた「復興構想会議」は、若き官僚たちと一部の政務の人たちとの献身的協力と、メディアの積極的な報道がなければ、至る所で立ち往生したものと思われる。
結果は、まことに逆説的であるが、”非政治”であるが故に、コトが進んだのである・・
詳しくは原文をお読みください。

農業用ダムの決壊

今日は、復興担当大臣のお供をして、仙台市と福島県須賀川市へ。余り知られていないのですが、須賀川市にある農業用のため池「藤沼ダム」が、あの地震で決壊しました。ため池と言っても、大きなダムです。大量の水と土砂が、鉄砲水となって下流の住宅を倒し、死者も出ました。その現場を見てきました。
ダムから1キロ下流に住んでいた住民の方に、話を聞きました。お宅は開けた傾斜地にあり、そこへ横から、ダムからの谷筋が合流しています。谷を駆け下った土石流は、まっすぐお家を襲ったのです。
谷筋を、木が立ったまま、大きな音とともに、駆け下ってきたそうです。その後を大量の水が押し寄せ、しかもその水の塊は下が空いていた=大量の水が空を飛んできたそうです。あわてて逃げて助かったとのことですが、両隣のお家の方は流されました。
ダムに登ると、堤防は無くなっているのですが、残った部分を見ると、とても大きな断面=台形です。これだけの堤防が壊れるのですから、よほど大きな力が加わったのでしょう。また、水の無くなった湖も、広大です。ここにあった水が一気に流れ出ると、それもすごいエネルギーで駆け下ったのでしょう。

がれきの片付け状況

津波被害を受けた市町村の、がれきの片付け状況が、公表されました。今回は、推定がれき量のうち、どの程度片付けたかという割合に加え、散乱しているがれきのうち、どの程度片付けたかという割合も公表されました。その差は、これから解体される家屋の分です。すなわち、これから解体する家屋は、がれき総量に含まれますが、散乱がれきには含まれません。
実は、石巻市や釜石市では、がれきの片付けが進んでいるのに、片付けた割合の数字が20%程度と低い、との指摘がありました。確かに、住宅の周りのがれきは片付いているのです。理由は、「これから解体する家屋」でした。それを考慮すると、石巻市は、21%から87%に一挙に上がりました。ほとんどの市町村で、かなり片付けが進んでいます。もちろん、これは仮置き場まで運び出しただけなので、それらを焼却処分したりする必要があります。

また、47都道府県庁の「被災者支援窓口」を公表しました。被災者は全国に避難しておられるので、その方々のお世話をする窓口を、各県庁の協力を得て、明らかにしました。県庁内で、災害対策の所管部局はふだんから決まっていますが、被災者支援担当は決まっていない県庁も多いのです。今回改めてお願いしました。