岡本全勝 のすべての投稿

お任せ民主主義。政治というできの悪い芝居の見物

10月2日の朝日新聞オピニオン欄、國分功一郎さんの「経済成長の時代、全ては暇つぶし。政治も消費された」から。

・・日本は特に、政治を退屈しのぎにしてきた国だと思います。以前から、日本は先進国であるのに政治意識が高まらない、例外的な「臣民型」の国だという評価がありました。政治参加の意思も抗議運動への理解もない、と。・・
日本がなぜ例外であり続けたかといえば、やはり経済が大きい。60年代以降、日本だけは経済が右肩上がりで社会システムも安定していた。その中で怪物的な消費社会を作り出し、あらゆるものを消費の対象にした。政治もその一つになった・・

「マスコミは政治報道に力を注ぎ、人々も投票所に足を運んできた。それが退屈しのぎの消費に過ぎなかったのでしょうか」という問に対しては。
・・すべてがそうではありませんが、そもそも与野党がなれあって、事前に強行採決や乱闘の手順を料亭で決めていたような時代があったわけで、国会自体が出来の悪い芝居だったのではないでしょうか。
マスコミはそれを「政局」としておもしろおかしく報じ、飲み屋での政治談議に話題が提供される。政治はそんな退屈しのぎぐらいになれば十分だったんでしょう。その暗黙の前提となっていたのが、放っておいても誰かがうまくやってくれる、という政治への白紙委任的な態度です・・

鋭い指摘ですね。経済や社会がうまくいっているのなら、お任せ民主主義でも、良かったのでしょう。
後段、できの悪い芝居を、「政局」として報道していたという批判に対して、マスコミ(各紙の政治部)は、どのように反応するでしょうか。
この項続く。

今日は田村市へ

今日は、福島県田村市へ、行ってきました。市内の都路(みやこじ)地区について、帰還を進めるための打ち合わせです。この地区は、合併前は都路村でした。北は葛尾村に、南は川内村にはさまれた、阿武隈山地東麓の村です。水系も経済圏も双葉郡に入っているのですが、歴史的経緯で田村郡(現田村市)に入っていました。郡山駅からは、車で1時間以上かかります。
インフラは大きくは壊れていないのですが、除染をし安全が確認されないと、住民は戻ってこられません。また、多くの家庭が井戸水に頼っているので、その安全確認(放射能に汚染されていないことと水質が悪化していないことの確認)も必要です。
皆さん、広い家に住んでおられたのですが、仮設住宅での狭い不便な生活で辛抱してもらっています。
幸い、田村市役所やその周辺(旧船引町、常葉町など)が、無事でしたので、復旧の体制は強いです。今日、いくつかの課題をいただいたので、解決を急ぎます。
沿道の田んぼの稲は、ほぼ刈り取りが終わり、栗の実がはぜていました。

おもしろくないホームページ

先日、久しぶりに会った人から、苦言を頂戴しました。「全勝さんのホームページ、最近おもしろくないね。難しいことばかり書いて。楽しくないよ」と。
すみません。せっかく、読んでいただいているのに。最近あまり楽しいことをしていないのと、私の勉強したことを書いているので、おもしろくないのです。従事している仕事も、冗談を言いにくい仕事ですし。
しかし、読んでいただくためには、楽しさも必要ですね。毎日、700人近い人が見てくださっているのに。反省。かといって、この年になって、あまりアホなことも書きにくいです。

続・進む三位一体改革

「進む三位一体改革(3)」月刊『地方財務』2005年6月号所収
進む三位一体改革-評価と課題(月刊『地方財務』2004年8月号、9月号)の続きです。16年度中の動きを解説してあります。訂正です。p121上段7行目「同等部会」は「合同部会」の間違いです。(6月2日)

  目次
はじめに
第六章 平成一七、一八年度の「全体像」決定
1 地方案の決定
(1)経過 (2)戦う知事会 (3)概要
2 政府での協議
(1)国と地方との協議 (2)各省の抵抗 (3)財務省による「攪乱」 (4)総務省の提言 (5)与党との協議
3 政府案決定
(1)概要 (2)地方案との違いと残されたこと
4 平成一七年度分
(1)国庫補助金改革 (2)税源移譲 (3)地方交付税 (4)その他 (5)累計
5 評価
(1)地方団体の反応 (2)新聞の論調 (3)評価その一ー実現度 (4)評価その二ー過程 (5)一六年度予算への反省の成果
第七章 三位一体改革の位置付け
1 地方分権としての評価
(1)短期 (2)中期 (3)戦略論
2 政治改革としての評価
(1)政治権力論 (2)政治構造論
第八章 これから
1 三位一体改革に残されたこと
(1)平成一七年の動き (2)中長期課題
2 その次の地方行政
(1)自治の運用の充実 (2)地方財政の新たな地平
あとがき

「進む三位一体改革(4)完」月刊『地方財務』2006年7月号
17年度中の動きと成果、4年間の成果と評価、これからの課題を書いてあります。82ページにわたる大作です。これで、三位一体改革第1期の解説と、アジテーションはひとまず完結です。
今回も、財政改革だけでなく、政治改革として分析しました。三位一体改革がなぜ進んだか、なぜ進まなかったか。他の改革や、現在の進行状況と比べて、要因を分析してあります。この間、いろんな方と議論しました。また意見を聞いてもらいました。その点では私の論文というより、私に論戦を挑んだ記者さん、学者の皆さんや国会議員さんとの合作です。私としては、類例のない論文と自負しています。ぜひ、お読みください。
早速訂正です。p114資料37の注4で「30.094億円」とあるのは「30,094億円」の間違い、注5で「7.393億円」とあるのは「7,393億円」の間違いです。(7月4日)

 目次
はじめに
第九章 三位一体改革の達成
1 平成一七年度の経過
(1)骨太の方針2005 (2)地方案の決定 (3)義務教育国庫負担金の扱い (4)生活保護の扱い (5)施設費の扱い (6)政府案の決定へ
2 政府案
(1)概要 (2)地方案との違い (3)評価
第一〇章 三位一体改革の成果
1 過程
(1)経過 (2)なぜ進んだか
2 成果の全体像
(1)補助金改革 (2)税源移譲 (3)交付税改革 (4)その他の項目 (5)波及効果
3 評価
(1)個別目標について (2)目的に照らして (3)政治へのインパクト (4)見えてきたこと (5)全体像についての評
第一一章 今後の課題
1 第二期改革にむけて
(1)第二期の課題 (2)現在の動き (3)どこへ向かうのか
2 地方財政改革の将来
(1)財政再建 (2)分権と自律 (3)戦略
あとがき

(その後)
この連載を1冊の本にしようと作業をしていましたが、挫折しました。時機を失してしまったのです。
その代わりとして、次の2論文に要約してあります。そちらをご覧ください。(2007.9,22)

「地方財政の将来」神野直彦編『三位一体改革と地方税財政-到達点と今後の課題』(2006年11月、学陽書房)所収は、三位一体改革の到達点を踏まえ、今後の課題と進め方を解説しました。
構成と執筆者は、次の通りです。意義と課題(神野先生)、経緯(佐藤文俊総務省自治財政局財政課長)、到達点・国庫補助負担金の改革(務台俊介前調整課長)、同・地方税の改革(株丹達也前自治税務局企画課長)、同・地方交付税の改革(黒田武一郎交付税課長)、地方財政の将来(私)です。

「三位一体改革の意義」「今後の課題と展望」『三位一体の改革と将来像』(ぎょうせい、2007年5月)所収
第1章総説の第1節「三位一体改革の意義」と第4節「今後の課題と展望」を、私が執筆しました。一部、「地方財政の将来」(神野直彦編『三位一体改革と地方税財政』学陽書房所収)と、重複している部分があります。ただし、今度の論文には、年表(目標の設定と達成度)や税目別税源配分の表なども、つけることができました。早速訂正です。p6の11行目、「その要因の2つは」とあるのは、「その要因の1つは」の間違いです。

先日、行政学の泰斗(私の行政学のお師匠様)とお話ししていたら、「必要があって、岡本君が書いた「進む三位一体改革」(月刊『地方財務』連載)を読んだけど、やたらと長かったね」とのお言葉。
「先生、すみません。あれは、関係者向けの実況中継だったんです。一冊の本にまとめるときは、そぎ落とそうと考えていたんですが、時機を失してしまいました」とお詫びしました。その代わりと言ってはなんですが、今回の論文が、要約になっています。短くすると、本当に言いたいことだけになって、わかりやすくなっています、自画自賛です、はい。(2007年6月1日、3日)

(祝『地方財務』700号)
月刊『地方財務』(ぎょうせい)が、700号を達成しました。昭和29年(1954年)6月から、58年かけてです。
私が昭和30年1月生まれですから、その半年前ですね。それは全く関係ないとして、地方財政では、昭和29年度から地方交付税制度が始まっています。私が交付税課長の時(2001~2003年)に、「50周年記念をしなければ」と職員と議論していたことを、思い出しました。
記念論文として、小西砂千夫先生が、10編の論考を選んで、概要を紹介しておられます。半世紀以上の歴史を振り返り、代表的論文を選ぶことは、大変な作業だったと思います。小西先生、ありがとうございます。私にもう少し暇があれば、お手伝いできたのですが。
しかも、10編の中に、私の文章も選んでくださっています。「進む三位一体改革―その評価と課題」(2004年8月、9月、2005年1月、6月号)です。身に余る紹介をいただいて、恐縮です。その中で、小西先生は次のようなことも書いておられます。
・・できごとに対して、当事者がどのように反応したかを直接話法で表現しているところも、現役官僚の文章とは思えない斬新さを感じさせる。
論文の中で、「・・・と私は考えた」といった表現が散見される。それは、筆者が目の前の事象をどのようにみたか、何が論点であり、制度改正が実現するうえでどこが転換点であったかなどを、一人称でリアルに書こうとしているからである。そのような鋭い論評がちりばめられていることが、他の岡本論文にも通じる魅力である・・
この原稿は、交付税課長を終え、官房総務課長で国会を走り回っている頃に書いたものです。当時は、このホームページで、毎日実況中継していました(6 三位一体改革の記録)。振り返ると、懐かしいですね。書いておけば残ります。
後に、西尾勝先生から、「必要があって、岡本君が書いた『進む三位一体改革』を読んだけど、やたらと長かったね」との「おしかり」をいただきました。たぶん、先生が『地方分権改革』(2007年、東大出版会)を書かれる際のことだと思います。私は、「先生、すみません。あれは、関係者向けの実況中継だったんです。一冊の本にまとめるときは、そぎ落とそうと考えていたんですが、時機を失してしまいました」とお詫びしました。そんな思い出もあります。
さらにその後、私は内閣官房や官邸の仕事が主になって、地方財政から離れました。
(2012年10月3日)

勢力均衡や覇権主義でない国際秩序

G・ジョン・アイケンベリー著『リベラルな秩序か帝国か―アメリカと世界政治の行方』(上下、邦訳2012年、勁草書房)が、とても勉強になりました。
日経新聞での教授の主張を読んで(8月11日の記事)、興味を持ちこの本を読みました(途中で他の本に手を出したとはいえ、読み終えるのに1か月半かかっています)。教授の主張を、極端に簡単に紹介すると、次のようなものです。
第2次大戦後の世界政治を規定した、アメリカのグランド・ストラテジーは、2つあった。
一つは、冷戦、対ソ関係であり、勢力均衡、核抑止、政治的イデオロギー的競争による「封じ込め政策」です。
もう一つは、1930年代の経済苦境と政治的混乱、それから発生した第2次大戦を再び起こさないことであり、経済の開放性、政治の互恵性、多国間で管理する国際関係といった「リベラル民主主義的な秩序」です。
前者は、ソ連を「敵」とし、リアリズムに立ちます。後者は、1930年代の失敗を「敵」とし、リベラリズムに立ちます。

私たちは、戦後の国際政治というと、前者の米ソの東西対立を思い浮かべます。しかし教授は、それよりも、後者の多国間によるリベラルな秩序を重視します。それは、冷戦が終わってソ連封じ込めが必要なくなったときに、新しい国際秩序が生まれず、引き続き従前の国際秩序が続いていることで証明されています。共通の敵がなくなったのに、西側先進諸国は同盟関係を崩さず、また国際機関を壊さず、軍備競争にも戻りませんでした。
振り返ると、アメリカ主導による多国間によるリベラルな国際秩序は、冷戦が始まる前から形成され始めていたのです。国際連合、IMF、ガット(後にWTO)などです。そして冷戦がなくなった今、この秩序が前面に出てきたのです。
ドイツも日本も、いえロシアも中国も、この秩序に乗っていて、これに挑戦しようとはしません。アメリカの戦後構想は、成功したのです。
この項続く