岡本全勝 のすべての投稿

本の都ヴェネチア

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ著『そのとき、本が生まれた』(邦訳2013年、柏書房)が興味深かったです。グーテンベルクが西洋で印刷術を発明したことはよく知られていますが、その後、どのようにして商業出版が発達したか。
ヴェネチアが本の都になり、ユダヤ教やイスラム教の経典、アルメニア語やギリシャ語の本、楽譜や地図まで、出版の一大拠点になっていたのだそうです。500年の歴史に耐え、焚書ににも生き残り、それら貴重な本が残っているのです。
ルネサンスが起点としても、フィレンツェやローマでなく、なぜヴェネチアだったのか。それは、本を読んでください。
そして、なぜヴェネチアの出版が衰退したか。宗教の締め付けがきつくなり自由な出版が制約されたことやヴェネチアの勢力の衰退によるようです。
ところで、「ナポレオン時代の医師で哲学者のドナート・アントニオ・アルトマーレは、1562年に『マナについて』を出版し、全46ページで聖書に登場する食べ物を解説している」(p182)は、何かの間違いだと思いますが。

祝1,900,000番

このホームページのカウンターが、1,900,000番を達成しました。6月1日に達成したようです。1日は出張していたので、確認できませんでしたが。
2002年1月に開設してから12年目です。あと10万人で、200万人です。平日700人、休日200人、1週間で4,000人弱のペースですから、今年中には達成できますかね。
拙いページを見てくださる皆さんに、感謝します。2度の「休刊」(総理秘書官時代と被災者支援本部の当初)を除いて、ほぼ毎日「発行」し続けています(出張した日や夜遅くなった日などを除く)。それにしても、よく続いたものです。

新しい東北へのチャレンジ、新しい手法の実験場

昨日6月1日(土曜)と今日2日(日曜)の1泊2日で、復興推進委員会と一緒に、岩手県に視察に行ってきました。先週の土曜日(5月25日)には、宮城県に行ってきました。
推進委員会では「新しい東北」をテーマに議論をしています。単なる復旧に終わらせることなく、未来を切り開こうという考えからです。被災地は、災害以前に、過疎化、少子高齢化、産業空洞化という悪条件にありますが、これは日本社会の最先端を走っているということです。今回の視察では、新しいファンドによる産業再開支援を見てきました。かつてこのページ(2012年5月17日、復興支援ファンド)でも紹介した、「ミュージック・セキュリティー」による「セキュリテ被災地応援ファンド」です。1口=5千円寄付+5千円投資+500円手数料=1万500円でお金を集め、企業の再建を支援します。5千円分の投資には、配当があります(成功すれば)。
今日見たのは、酔仙酒造八木沢商店(醤油・たれ)です。ともに陸前高田の老舗でしたが、津波で流されました。それぞれ別の土地で工場を建てて、営業を再開しています(酔仙酒造八木沢商店)。両社ともこのファンドだけでなく、中小企業庁のグループ補助金や無利子融資などを組み合わせての再開です。また、酔仙酒造は、「トヨタのカイゼン」の指導も受けました。まだ、生産・販売は被災前の水準に戻っていませんが、見通しは明るいようです。
復興庁の『被災地での55の挑戦―企業による復興事業事例集』でも、取り上げています(酔仙酒造1-11八木沢商店1-17)。
説明を聞いていると、「なるほど、この社長(社員)がいるから事業が進むのだ」と思わせるものがあります。被災によって、設備をすべて失うだけでなく、大きな借金も抱えての再チャレンジです。大変な苦労があったと思います。それを顔に出さず、笑い飛ばしておられます。また、このファンドによって、有利な資金を調達しただけでなく、応援団や、協力者も得られたようです。
私は、大震災での救助と復旧は「政府の能力を試すものであった」と説明していますが、これからのまちづくりや産業振興は「政府や社会の新しい取り組みの挑戦の場」だと考えています。これまで政府が取り組んでこなかった分野や、これから取り組まなければならない分野への挑戦です。いろんな手法を試すことができます。やる気のある官僚や公務員、社会起業家には、またとないチャンスです。
「課題先進国・日本」では、いろんな改革や挑戦が提言されています。全国的な企画も重要ですが、私たちが取り組んでいる「東北復興・新しい東北」は現場があり、またいろんな方が応援しようと言ってくださいます。現場で実験できるという強みがあるのです。
「多様な主体による新しい取り組み」については、こちらをご覧ください。
休日にもかかわらず、お相手をしてくださった関係者の方々に、お礼を申し上げます。
現地まで片道5時間。1泊2日の行程の中に、たくさんのメニューを組み込んでくれる「復興庁の手配師兼ツアーコンダクター」には感心するとともに、疲れます(苦笑)。もっとも、詰め込んだ結果は、現地での質疑応答が長引いて、ねじを巻いたり時間調整に「手配師」自らが苦しむことになるのですが。倉井君、綿貫君、ありがとう。

放射線量の地図

経済産業省のホームページに、「避難指示区域における空間線量から推計した年間積算線量の分布の推移」が載りました。例えば「全体」を見ていただくと、平成23年11月(事故後8か月)、24年6月、24年11月の年間積算放射線量の分布の推移が載っています。
20mSV以下(黄緑、水色、青)の地域が、帰還可能な地域です。約2年で、放射線の高い地域(赤や黄色)が大幅に減っている(狭くなっている)ことがわかります。これは、放射能の半減期と水で流されたり地中にしみこんだからです。
この地図を基本に、解除区域、帰還準備区域、居住制限区域、帰還困難区域を決めています。その地図が、「避難指示区域の見直し後の各市町村の概念図について」です。