岡本全勝 のすべての投稿

被災地から発信する新しい地域包括ケアモデル

先日(5月25日の記事)、石巻を視察し、在宅診療を行っている祐ホームクリニックの取り組みと、今後の構想を紹介しました。事務局が、その際の資料をホームページに載せてくださいました。園田さんありがとうございます。資料は大部ですが、私が理解した要点のみ紹介しましょう。
石巻市は、市街地での津波被害が最も大きかった都市です。2つあった基幹病院の1つが診療不能になり、開業医もたくさんいなくなりました(p7)。
そこで、武藤先生が在宅医療診療所を開設し、医師仲間や関係者の協力を得て、診療に当たってくださいました(p2、8)。先生はもともと、東京都内で在宅診療を進めておられました。
また、仮設住宅だけでなく、在宅の被災者2万世帯も訪問し、市役所などと共同して、医療だけでなく福祉・生活面のサポートもしてくださいました(p13、活動概要)。これは拙稿「被災地で考える「町とは何か」」(共同通信社のサイト「47ニュース、ふるさと発信」2012年8月31日)の中で、「NPOの活動例①石巻医療圏での健康と生活支援」として紹介しました。
ベットを持たず、200人以上の患者に対し往診に行くのですから、患者の情報を医師やスタッフで共有することが重要です。それを、ICTによって解決しています(p10)。また、介護とも連携を取り、さらには家族だけでなく東京に離れている家族にも情報を共有しようとしています。
被災者は病気だけでなく、生きる希望が小さくなり、他方で人とのつながりを求めています(p16~)。医療や介護だけでなく、健康・生活支援、地域とのつながり、家族への支援が必要です。ここでのモデルの特徴は、「対面も含めた接点により健康・生活の状態を把握する」「データベースとコーディネーター機能の活用」「民間サービスを含めたサービス・プラットフォーム」「家族のサポートの原動力」です(p23)
医療と介護だけでなく、健康管理や生活サービスまで、在宅で(病院に入院せずに)、地域や家族をともにお世話しようという試みです。これからの大きな課題への、有力な対策だと思います。

放射線量地図2

先日、経済産業省のホームページに、「避難指示区域における空間線量から推計した年間積算線量の分布の推移」が載ったことを紹介しました(5月31日)。今度は、原子力規制庁が、「東京電力福島第一原子力発電所事故から2年間の航空機モニタリングの線量の推移について」を公表しました(6月5日、原子力規制委員会)。基礎となっているデータは、同じです。規制庁の方が、測定方法や評価が載っていて、さらに会議録に説明もついています(p11~)。
それによると、80km 圏内(事故7 ヶ月後~1 年8 ヶ月後)では、空間線量率は平均で約40%減少しています。避難指示区域のうち旧計画的避難区域(事故7 ヶ月後~2 年後)では、ほとんどが3.8μSv/h 以下になっています。
ところで、放射線量が表示される場合に、時間当たり(μSv/h)と年単位(mSv/年)の2つがあります。その換算について、会議録(p12)で次のように説明されています。
「・・単位はマイクロシーベルト・パー・アワー(μSv/h)でございまして、原子力災害対策本部で従来示している換算式で直しますと、0.2のところが年間1ミリシーベルト、3.8が20ミリ、9.5が50ミリ、19が100ミリシーベルト・パー・イヤー(mSv/年)に相当いたしますが・・」
1時間あたりの量を1年間に換算する際に、1時間の放射線量を、「×24時間×365日」するのではなく、屋外にいる時間(100%浴びると推計)と屋内にいる時間(家の中では低くなります)を仮定して換算しています。
簡単には、5倍して単位をmSvに置き換える(5,000倍していることになります)と近似値になるので、私はそれで換算しています。例えば、3.8μSv/h×5×1,000≒20mSv/年です。
ここで3.8μSv/hが出てくるのは、避難指示の基準の一つに、20mSv/年に設定しているからです。だいたい、どの地図でも、20mSv/年以上を黄色や赤で表示し、それ以下を黄緑や青で表示しているようです。
なお補足すると、20mSv/年といっても、人間がそれだけの放射線を「浴びる」わけではありません。これはその地点の「空間線量」であって、人が実際に浴びる数値は個別に測る必要があります。
また、放射能汚染された食品を食べることによる被爆は、これとは別です。これについては、農産物などの検査をして、厳しい規制値(年間食べる食品の半分が汚染されたものであるという設定)を上回るものは出荷していません。

貧乏性、小学生の日記

今日は、久しぶりの休日。昨晩、「ゆっくり朝寝をするぞ」と決意したのですが、早々と目が覚めて。ゆったりと新聞を読んだ後、結局は出勤。たまっている資料はどんどん片付くし、メモしてあった検討事項も考えることができました。
もっとも、急ぎの用件が入って出勤していたM参事官に、つかまりました。「出勤しておられるのなら、ちょっといいですか」と。
夕方は早く退庁して、本屋さんへ。気持ちのよい土曜日でした。

この四半世紀の日本の政治改革、その4

・・政治主導とその実態を形作るものが何かといえば、それは政党である。平成初めの政治改革のスローガンは「個人中心から政党中心へ」であった。つまり「平成デモクラシー」は、政党の改革と政治主導の充実に期待をかけてきた。確かにかつての派閥は事実上なくなったが、それに代わって政党があらゆる面で充実し、政治主導を任せられるものに成長したかといえば、自信を持って「イエス」と回答できる状況には必ずしもない。
日本では、政治主導と政治家主導とがしばしば混同される。政治家主導というのは察するに、政治家たちの発言力が―特に、官僚との関係で―強まることを素朴に肯定する態度である。多くの政治家たちはこの政治家主導を政治主導と取り違え、その結果、政党の内部は混乱し、政権運営は内側から崩壊しかねないことになる。つまり、政治主導と政治家主導は同じどころか、時には相矛盾する現実を意味するのであるが、そこが曖昧なままである。逆にいえば、政治主導は政治家に対する組織的な統制力なしにはあり得ないのであって、政治家たちがそれぞれ勝手なことをいうこととは両立しないのである・・

岡本統括官の休日をつぶす友の会

今日は外での会議続きで、また外出しようとしているところに、職員が説明に来ました。「ちょっといいですか」と。そして、「9日の日曜日に、出張です」と、会議の概要を説明し始めました。
私は説明をさえぎって、「ちょっと待て、今日は木曜日やで。この週末に、私が出張するのかい?」。職員、答えて曰く「はい」。
「あんたら、『岡本統括官の休日をつぶす友の会』の会員か。また、新しい会ができたな」と言ったら、ニコニコして「それは、いいですね。会長と幹事長をします」と、全く反省の色がありません。とんでもない職員です。K参事官とS企画官です。
先週、先々週と、2週続けて土日に出張でした。休日がないと、資料と仕事の整理ができず、次の仕事の段取りを考えられないのが痛いです。本屋にも行けないし・・