岡本全勝 のすべての投稿

役人が妨げる研究

読売新聞連載、秋葉鐐二郎さんの「日の丸ロケット」、6月22日「3機関統合、消えた自由」から。
2003年に、文部科学省宇宙科学研究所(ISAS、旧文部省系)、宇宙開発事業団(NASDA、旧科技庁系)、航空宇宙技術研究所(NAL、旧科技庁系)が統合して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足しました。秋葉さんがかつて所属していた、宇宙科学研究所(かつての東大宇宙航空研究所)も、ここに統合されました。
・・統合前の宇宙3機関は、科技庁系が人員の8割、予算の9割を占めました。圧倒的に科技庁が強い。でも、まあ、今まで通りに研究がやれるなら、別に名前くらい変わってもいいんじゃないの、っていうぐらいの気持ちでした。
ところが、統合したら、そこから先、急に組織の文化が変わっちゃったんだよね。ひどいものでした。大企業が小企業を吸収するみたいな感じでした。
どう変わったかというと、研究の自由が奪われたのです。要は、事業団は役人なんだね。研究者だけでなく、役所出身者も寄せ集めた組織だったからでしょう。何かやろうとすると、すぐ、安全上の手続きが不足しているみたいなことを言う。とにかく、なんでもかんでも書類に書かせる。そして、書類を審査する側が、資料が足りないとか、説明不足とか何とか言って、どんどん研究者の時間を持っていく・・

イギリス社会はどう変わったか。英国病の前と後

清水知子著『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』(2013年、月曜社)が、興味深いです。
サッチャー政権以後のイギリス社会を対象に、「働かない労働者を、どのようにして変えたのか」「社会の亀裂はどう広がり、サッチャリズムはどう利用されたか」「衰退した帝国はどのように反転を試みているか」などを分析しています。政治経済ではなく、社会文化の観点からです。
サッチャー首相にとって、新自由主義はあくまで手段であって、目的は「国民の信条を変えること」「国民の精神的な構造を変革すること」だったと、清水さんは喝破します。第2次大戦戦後のイギリス政治を特徴づけてきた「合意の政治」「福祉国家」こそが労働意欲をそぎ、サッチャー首相が登場する頃には、国民全体が福祉に依存する怠惰な文化を生み出し、英国病をもたらしたという主張が受け入れられていました。しかし、首相が主張し、各種の制度を改革しただけでは、国民の意識を変えることは難しいでしょう。それを支持した国民がいたから、劇的な変化が起きたのです。
国民の中にあった「亀裂」が、それを支えました。「内なる敵」、それは移民であったり、炭鉱労働組合であったり、アイルランド独立運動です。「私たち英国民を危機に陥らせる、人種的他者であり怠惰な市民」が敵になるのです。
一方で、伝統や集団から「独立する」ため、「自由」が尊重されます。しかし、それはサッチャー首相の言葉「社会というものはありません。あるのは個人としての男と女と家族だけです」が表しているように、中間集団というセイフティネットのない、孤立した個人と家族を生み出します。
政治や経済を論じる際に、それを支えた、あるいは反発した国民や市民の意識は重要です。しかし、分析するのは、難しいです。とらえにくく、移り気で、定量的分析にはなじみにくいです。
太平洋戦争を支持した国民意識、戦後復興と経済成長を支えた国民意識、失われた20年を受け入れた国民意識。そして、広く国民一般ではなく、指導者層、中間層、庶民、あるいは都市労働者と農民、若者と、立場の違いがあります。

日本語への引きこもり


朝日新聞6月18日夕刊、藤原帰一教授の「翻訳文化の時代が過ぎて―日本語への引きこもり」から。
・・西欧と肩を並べる国家形成を目指して以来、外国文化の吸収は近代日本の課題だった。科学技術だけではない。旧弊に閉じこもった日本を変えるためには、欧米諸国の政治制度やその基礎にある価値観を学ぶ必要があるという自覚が、近代日本の知識人を支えてきた。
外国の言葉を話し、その知識や文化を伝える官僚、知識人、そして大学が西欧化の担い手になった。外国語を話さない国民には翻訳を通してその成果が紹介された。翻訳を読むだけで外国に発信することはできないし、外国語で意思を伝えることのできる官僚や学者は稀だったから、文化の流入は一方通行だった。とはいえ、外に目を開くことがなければ日本の変革があり得ないという感覚が多くの国民に共有されていた時代はあった。
高校生の頃から、私は翻訳文化を好きになれなかった・・
だが、国外に目を開くことに意味がないと思ったわけではない。翻訳を通すことなく原語を通して外国に学ぶ、いや、ただ学ぶのではなく、同じコミュニティーの一員として外国の人々と議論し一緒に仕事をするのが当たり前ではないか。翻訳文化とはその状態に変わる前の過渡的な現象に違いないと思っていた。
実際、翻訳文化とその時代は過ぎ去った。だが、代わって訪れたのは原語を通し国境を超えて議論を行う空間ではなく、日本語を読み、日本語で考え、翻訳された文章さえもあまり読まない空間だった・・
第2次世界大戦中のように政府によって強制されるからではなく、日本の外に広がる意味空間を、自分の選択によって排除するのである。
アメリカ人だって英語だけで勉強するひとがほとんどなのになぜ日本人が外国語を読まなければいけないのかと言う人がいるだろう。だがイヤな言い方を承知で言えば、外国語、特に英語で書かれた文章は、質量ともに日本語で構成された空間とは比較にならない。東西冷戦終結後の四半世紀、ヨーロッパでも韓国でも中国でも英語で構成された空間のなかで活動する人々が急増した。英語を母語としない人も英語で発信し、学術成果を発表するのが当たり前になった。英語を使わないと仕事にならないのだから無理もない。
ところがその時代の日本は、以前よりも日本語の世界に引きこもっていった。経済成長も達成し国内だけで大きな市場を持つのだから外国に目を向けなくても生きていける。英語を使わなくても豊かな生活を保持できるのは幸福だと言うこともできるだろう。しかしその幸福は、ものを知り、考え、議論する空間が日本語の世界に縛られるという犠牲と引き換えに得られたものだった・・
部分的に紹介するだけでは、先生の主張が正しく伝わらないので、原文をお読みください。

子どもさん連れの結婚式

今日は、結婚式に行ってきました。「呼ばれて」ではなく、「呼んでくれたら、双方のご両親が喜ぶスピーチをするよ」と、押しかけです(苦笑)。結婚式の後は、披露宴の形ではなく、簡単なパーティで、出席者も堅苦しくなくよかったです。
新郎新婦は、海外勤務の都合などで、1歳の子どもさんを連れての結婚式でした。おなかの大きい新婦さんの結婚式も何度か出たことがありますが、子連れ結婚式もよいですね。
課題は、式と写真撮影の間に、じっとしていてくれるかです。今日の赤ちゃんは、泣かずに、静かにしていました。おりこうさんでした。

選手を育てる技術

朝日新聞夕刊連載「白球の郷をたどって」、6月20日「ノックは最高の対話」から。
高校野球の名門、和歌山箕島高校の故・尾藤公監督と、石川星陵高校の山下智茂監督の、ノック練習が取り上げられています。両校は練習試合をしばしばやって、その前には、それぞれの監督が相手校に打つのだそうです。
「山下先生のノックは、ギリギリのところで捕らせて、選手をうまくする」。
「尾藤さんのノックは、ギリギリで捕れないところに打って、選手をうまくする」。
それぞれ相手校の選手たちの言葉です。選手を育てるには、これだけの技術と考え方が、必要なのですね。これに比べれば、私のような管理職は、部下を育てることについて、まだまだです。