岡本全勝 のすべての投稿

外部から来て、まちづくりを支える

釜石市に、「釜援隊」(釜石リージョナルコーディネーター)という人たちがいます。市役所と住民をつないだり、外部からのアイデアをつないで、復興まちづくりに取り組んでいます。民間人を、市役所が非常勤職員として採用しています。
事務局の石井重成さんが、東北復興新聞に、「社会の役割を再定義する。釜石市の挑戦」を寄稿しています。彼らの活動状況がよくわかります。そして、彼らの目指している社会も。ご一読ください。藤沢烈さんに教えてもらいました。
民間人を市町村現場に派遣する仕組み(財政支援)は、総務省が作ってくれました。それを、釜石市が活用しました。一番必要なのは、困難な状況の中で、難しい仕事に取り組もうという意欲を持った彼らたちです。そして、彼らと市役所をつないだNPOも、必要です。募集すればすむ、といったものではありません。
成果を出すには、住民との信頼関係と、継続した長期間の活動が必要です。インフラ復旧だと、「いつまでに何をして、そのためにどれだけの資材と金がかかる」といった工程表が、事前に立てられます。しかし、この仕事は、そのように機械的にはできません。もちろん、目標とスケジュールは重要ですが。市町村役場の職員でも、難しい仕事です。それを、復興の現場という条件を「逆手に」とって、挑戦しています。彼らの活躍に期待しつつ、長い目で見守ってください。

政府と国会の関係

日経新聞経済教室7月30日、野中尚人・学習院大学教授の「国会至上主義、政府を阻害。ねじれ解消後も深刻、決める仕組みが曖昧」から。
・・私は、欧州の主要国と比較した場合、日本の国会はいわば「3周遅れ」の状態にあると考えている。1周目は二院間の関係の未整備で、ねじれの問題でもあるが、参議院での問責決議の扱い、全く機能しない両院協議会など、とにかく、おかしなことだらけである。参議院が「熟慮の府」というのは全くの誤認で、政府・衆議院多数派の意思決定や行動をストップさせる権能を持っていることについて、制度としての根本的な再検討が不可欠である。
2周目の問題は、国会と政府との関係が極端なアンバランスになっていることだ。日本では、国権の最高機関たる国会の自律性は何物にも侵されるべきではないとされている。戦前の反動といってよい。しかしその結果、国会の内部における政府の地位や権限は極端なまでに排除されているのである。
議院内閣制においては、主要な法案の大多数は内閣が提出し、議会内部のプロセスで与党との一定の調整・修正を行いながら立法を進めるのが普通である。そしてその過程では、法案審議の日程設定、修正の扱い、議決の方式などについて政府がはっきりと主導権を握る形となっている。英国とフランスが典型だが、ドイツでも多数派に一定の主導権が確保されており、結果として、政府の推進する法案が優先的に審議され、大半が一定の時間の中で成立する。
ところが日本では、政府には何の権限もなく、従って何もコントロールできない。与野党間の国対政治と与党による法案事前審査は、そのために不可欠になっていたのである。しかも、その国対政治の基本ルールは与野党間での合意であり、野党は相当な影響力を行使できる。首相をはじめ閣僚が極めて頻繁かつ長時間にわたって国会審議に拘束されることは、実は他の先進国には見られない日本政治の特徴だが、これはこうした制度と力学の産物なのである。こうした「国会の暴走」は即刻やめねばならない。
3周目の問題は、国会内部の形骸化であり、合理化や多機能化といった取り組みが極端に遅れていることである。欧州の主要国では、審議日程の年間計画・月間計画をはじめとした、緻密なスケジュール化、審議時間配分や優先順位決定の合理化、予算・決算プロセスへの実効性のある取り組みの強化、政府監視や調査のための仕組みの充実など、様々な改革が進んでいる。限られた時間の中で審議の充実と多機能化が真剣に進められていると言ってよい。
翻って日本の国会は、依然として会期不継続の原則(審議未了の議案は原則として廃案になる)と審議拒否戦術を背景とした日程闘争の国対政治に明け暮れている。そして、審議の形骸化と討論の希薄化がますます進んでいる。例えば、2012年には衆院本会議の開催時間は合計60時間で、およそ1100時間の英国やフランスと比べて何と約18分の1である。確かに国会議員は超多忙であるが、本務である国会での仕事の土俵を合理化し、機能を強化する努力はほとんどされて来なかったというべきであろう・・
つまり、ねじれが解消されてもなお、日本の統治システムは多くの深刻な課題を抱えたままである。まともに機能しない形骸化した国会が、政府の正常な作動を阻害し、政治行政を麻痺させかねない構図が続いている。いわば「ゆがんだ国会至上主義」が依然として重大な重しとして残っているのである・・

議会と政府の関係について、憲法や政治学の教科書では、定められた制度についての解説や諸外国との比較はありますが、運営の実際にまで踏み込んだ分析は少ないようです。機能の実態を分析するためには、「仕組み」と「運営の実態」の両方が必要です。そして、先進国との比較は、有用です。
他方で、なぜ「決められない国会」が続いていたか。それで、なぜ支障がなかったか。日本が成長と平等を謳歌していた時代、そして「一国繁栄主義」で内にこもっていた時代には、これでもよかったのでしょう。

市民を兵士にする仕組み、究極の上司部下関係

河野仁著『玉砕の軍隊、生還の軍隊―日米兵士が見た太平洋戦争』(2013年、講談社文庫)を読みました。
極めて優れた学術書です。戦闘論や戦略論でない、兵士から見た軍隊と戦闘の文化論と言ってよいでしょう。筆者は現在、防衛大学校教授。原本は、博士論文を一般向けに書き直して、2001年に出版されました。
太平洋戦争を通じて、あるいはもっと広い歴史的文脈において、日本人の「特殊性」が、比較文化論として大いに論じられました。代表的なものは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』でしょう。1970年代以降も、本屋には、日本人著者とともに外国人による「日本人論」「日本文化特殊論」が、たくさん並んでいました。
本書は、太平洋戦争を対象として、日米の兵隊の精神・文化の違いを分析したものです。一般市民がどのように兵隊に仕立て上げられるか、そして戦場でどのように振る舞ったかを、日米両軍の元兵士にインタビューして分析しているのです。よくある日本人論と違い、単にいくつかの象徴的なエピソードを基に、一般化しているのではありません。
人を殺したら殺人罪で処罰されるのに、軍隊に入ると人を殺さなければなりません。軍隊に入り教育されるだけで、人は「立派な兵士」になることができるのか。
それを効率よく徹底できるかどうかで、兵隊の質が決まります。本書を読むと、日本軍の方が、それに成功していたようです。その結果が、玉砕ができた軍隊と、できない軍隊の差になります。
その元になったのが、「捕虜になってはいけない」という教育です。しかしそれは、日露戦争後に起きた軍紀の退廃に対応するために進められました。日本人が、すべて最初から「立派な兵士」だったわけではありません。有名な「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」の「戦陣訓」は、昭和16年に制定されています。
軍人教育を行っても、訓練しても、皆が「立派な兵士」にはなれません。上官の命令に従わない兵士、戦闘になると行方をくらます指揮官。日米両軍に、命令を実行しない兵隊が出ます。アメリカ軍での調査では、兵隊が実際に銃を発射した割合は25%、別の調査では15%です。この結果に、私たちも驚きますが、指揮官も驚いています。部下は、指揮官の命令通りには、動いていないのです。また、精神を病む兵士、後にPTSDになる元兵士もでます。
どのようにして、一般市民を軍隊に慣れさせるか、兵隊に仕立て上げるか。部分的な知識しか持ち合わせていない戦後世代には、わかりやすい書物です。
そして、死と隣り合わせになった戦場で、部下はどのような上司について行くか。部下についてきてもらうためには、上司はどのように振る舞うべきか。究極のリーダー論(現場での部隊での)です。平時の私たちにも、大いに参考になります。
このような本が、文庫本で読めるのは、ありがたいですね。とても重い内容なのですが。

日本は異質か

1991年のバブル崩壊から始まった、日本経済の低迷。それは、しばらくして「失われた10年」と呼ばれ、続いて「失われた20年」と呼ばれました。「日本が特別だ」と、内外の識者は指摘しがちです。しかし、広い視野から見ると、そんなに特別なことは起きていません。
1990年代後半からのデフレについて、諸外国は日本の対応を批判しました。しかし、現在は、欧米各国もまた、金融不安、低成長、失業に、日本以上に悩んでいます。ロバート・マッドセン、マサチューセッツ工科大学シニアフェローは、次のように指摘しています(「衰退する日米欧経済」フォーリン・アフェアーズ・リポート2013年1月号)。
・・数字だけをみれば、日本の国力(パワー)がこの失われた20年で低下したわけではない。経済規模は、1990年代初頭と比べて大きくなっているし、防衛力も、大規模な投資と着実な技術改善によって強化されている。
だが、パワーは相対的なものであり、(その強さをはかる)重要な基準は、他国の人々や政府を、自国が望ましいと考える行動をとるように説得する手段をもっているかどうかだ。この基準でみれば、日本の影響力は明らかに低下しているし、今後もこのトレンドは続くだろう。
だが、日本がこの点で特異なケースというわけではない。それどころか、日本の影響力の低下は欧米を含む先進世界の変化の前兆だったとさえみなせる。いまや、あらゆる先進諸国の立場と影響力が形骸化しつつある・・
1990年代末までには日本脅威論は姿を消し、欧米諸国は経済を再生できずにいる日本政府を批判するようになった。ここにおける大きな皮肉は、日本政府にさまざまな注文を付けてきた欧米諸国が、いまや、日本経済の後追いをしてしまっていることだ・・
日本の「失われた20年」の経験から、なにがしかの教訓を学んでいた各国の中央銀行と政府は、危機を前に積極果敢な金融政策と財政政策を実施し、「自分たちは日本の二の舞にはならない」というメッセージを市場に送った。
だが、欧米の当局者の考えは甘かった。結局のところ、欧米経済がこの5年間で経験してきたことは、1990年代の日本の経験と非常に似ている・・

1991年から20年間続く、日本の経済低迷。そこには、2つの要素がありました。一つは、前半に起きた日本独自のもの、もう一つは後半に起きている先進国共通のものです。
日本独自のものとは、追いつき型経済成長の終焉です。欧米先進諸国を目標に、最先端の技術を輸入し、より安い賃金と優秀な技術力で、世界を席巻しました。しかし、先進諸国に追いつき追い抜いた時点で、このモデルは通用しなくなります。1990年代、時あたかも、アジアの各国が、30~40年前に日本がたどった道を急速に追いかけてきました。それまでの成功が大きかっただけに、急停止との差も大きかったのです。バブルの生成と崩壊が、この変化を増幅しました。
これら新興国が、もっと早くに日本型経済成長路線を歩んでいたら、日本の一人勝ちはなく、日本特異論は起きなかったでしょう。かつて日本企業が、欧米のカメラ、時計、電器、鉄鋼などの産業をなぎ倒したように、アジア各国特に韓国、台湾、中国の企業が、日本の産業をなぎ倒しています。でも、この半世紀の世界経済の歴史から見ると、特異な光景ではありません。歴史は繰り返される、です。日本独自と言いましたが、アジアの新興国が日本の道をたどっている以上、早晩、これらの国も、日本の1990年代と同じことを経験するでしょう。日本独自というのは、この時期に日本だけが経験したという意味です。
他方、先進国共通のものは、つぎのようなものです。経済の成熟、成長の鈍化、新興国の追い上げ、グローバル化、国内での高齢化と社会保障費の増大などに悩まされ、多くの国で経済が低迷しています。日本の低成長とデフレを批判した諸外国が、日本以上に低成長や失業の増大に悩んでいます(グローバル化と国家の役割)。日本は、先進国が経験したことのないデフレに悩みました。処方箋が、経済学の教科書に載っていないのです。日本が世界とは切り離された独自の世界で、独自のことを行っているのではありません。グローバル化した世界経済の中で、悩んでいたのです。日本の悩みは、世界共通の要素があったのです。

中国、地方自治体の借り入れ

朝日新聞8月2日オピニオン欄、陳志武・エール大学教授の発言「中国と影の銀行」から。
・・真の問題は借り手にあります。地方政府が資金調達のために設立した会社が、『影』を利用してお金を引き出し、むだな開発を続けていることです。地方に財源が足りないうえ、成長が評価の基準だし自らの懐も潤うので、造成した工業団地に無理をして企業を誘致している・・
最大の問題は、地方政府を監督し規制する政治の仕組みが事実上ないことです。これは金融を超えて、統治システムの問題です・・
採算がとれない事業が相次いで地方政府が銀行に返済できなくなれば、中国の金融システムを大きく揺るがしかねない。こうした借金は2008年の米金融危機後の景気対策をきっかけに増えたものです。担当者は変わっていないし、へたをすると偉くなっているから、手がつけられない。中国で金融危機が起きる可能性は次第に大きくなっています・・
土地の使用権を売って得た収入を財源にしている地方政府は多いのです。歳入の7~8割が土地収入という都市もある・・
2010年秋に、中国政府の地方財政担当者と、議論する機会がありました。そこで出た課題が、地方融資平台です。最初、担当者が「プラットフォーム」とおっしゃるので、理解できませんでした。議論していくうちに、日本での第3セクター、土地開発公社のようなものだと理解できました。
中国では、最近まで自治体が地方債を発行できなかったので、地域開発の際に別法人を作って借金をしたのです。このあたりは、日本の人口急増期の都市施設建設、その後の観光開発の経験と似ています。違うのは、中国では土地が国有なので、それを売る(正確には使用権を売る)ことで、容易に巨額の資金を得ることができるのです。また、地域開発は、うまく行っているものばかりではないようです。別の記事によれば(時事解析)、1万社、債務残高は11兆元、約180兆円に上ります。
日本でのそれら借金の処理の経験を、お話ししてきました。しかし、問題は日本の経験より深刻だと感じました。