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復興増税

先日、所得税の確定申告をしました。最近は原稿も書いていないのですが、寄付金控除などがあるので、申告しました。申告するといっても、多くの事項は源泉徴収票を転記します。ところが、途中で税額を計算したら、何度やっても合いません。課税金額に税率をかけるのですが、その金額よりも源泉徴収されている金額の方が多いのです。「おかしいなあ」と思いつつ、最後まで書き上げたら、わかりました。
平成25年の所得から、所得税の他に、復興特別所得税(所得税額×2.1%)が上乗せされるのです。源泉徴収されているのは、所得税だけでなく、復興特別所得税もあったのです。まさにその増税分を、仕事で使わせてもらっているのです。

応援職員の事前の研修と途中の相談

先週のことになりますが、「ワークフォー東北」の、派遣事前研修に、挨拶兼激励に行ってきました。この春から、被災地に行ってくださる9人の方の研修です。被災地に入る前に、一通りのことを知ってもらう必要があります。また、民間人から公務員になっていただくので、公務員としての基礎知識も必要です。
被災地では人が足りないので、たくさんの方に応援に入ってもらっています。しかし、だんだんと「欠けていたこと」「今後配慮すべきこと」がわかってきました。当初は、なんと言っても人が足らないので、なるべくたくさんの人を送ることが重要でした。これは公務員の応援も、ボランティアも同じです。しかし、それだけではうまくいかないことがわかってきました。
まず、地元が必要としている人材を送ることです。誰でも良いというわけではなく、必要とされる技能を持った人を送る必要があります。「ワークフォー東北」は、そのために「お見合い機能」を充実させています。すると、お見合いが成立しない場合もあります。当然です。でも、それをせずに送り込んだら、本人にも地元にも、不幸な結果になります。
もう一つが、この事前研修です。そして、派遣された後の「ケア」です。これまで、十分には行えていませんでした。これは、ワークフォー東北を使った民間人派遣だけでなく、総務省枠組みによる派遣、復興庁の枠組みによる派遣も同じです。通常に企業や役所に採用された職員でも、研修を受け、上司による相談などを行っています。被災地に応援に入ってもらっている方には、それ以上に難しい境遇で働いてもらっています。もちろん志の高い方ばかりですが、それに甘えているわけにはいきません。

生活再建支援、ちょうど3年

今日19日は、「生活復興フォーラム」に仙台まで行ってきました。これは、復興庁が、ひょうご震災記念21世紀研究機構に委託した「東日本大震災生活復興プロジェクト」の発表会です。自治体やNPOが被災者による生活設計やコミュニティへ復興を支援する際の注意点などを、阪神淡路大震災の経験を持つこの機構にまとめてもらいました。被災地で44回も、聞き取りなどをした成果です。
できあがった冊子「生活復興のための15章」は、追って公開します。 昨年まとめた、「被災者に対する健康・生活支援パッケージ」等とともに、現地で活用してもらえるようにします。
被災地では、インフラ・住宅復旧にめどが立ちつつあるので、次の大きな課題は、産業復興と健康や生活の再建です。読売新聞はこころの復興の連載を、朝日新聞は経済欄で被災地の中小企業再建の連載を始めました。

ところで、ちょうど3年前の3月19日から、私はこの大震災対応に関わりました。官邸に呼ばれて、被災者生活支援本部を立ち上げたのが、平成23年3月19日の朝でした(2011年4月13日の記事)。仕事の原点は、「被災者の生活支援(救援)」でした。今また、「被災者の生活支援(再建)」が重要なテーマになっています。
これは一つには、それを専管的に所管する役所がないからです。インフラや住宅は、国土交通省が中心になって、建設業界とともに、担ってくれます。そして、県庁にも市町村役場にも、土木部や土木課があります。ところが、「被災者(住民)の生活の課題担当」の省や課はないのです。だから、発災直後に「被災者生活支援本部」を立ち上げる必要があったたのです。それは、現在も変わりません。
そして、それを担ってくれる「業界」も、ありません。手法も、確立していません。かつては、自己責任、自助、近所や親類の助け合いで、すませていたのです。医療や福祉関係者、NPO、コミュニティなどと、これから手探りで進める必要があります。そして、それは予算をつけたら終わり、というものではありません。人によるサービス、継続したサービスが必要です。さらに言うと、支援者がサービスするだけでは、本人の自立はありません。難しいところです。これは、かつて携わった「再チャレンジ支援行政」と共通しています。

大山健太郎社長

3月15日朝日新聞別刷りbe「逆風満帆」に、アイリスオーヤマの大山健太郎社長が「震災、地元企業の責務とは」で出ておられます。
・・気仙沼市でグループが運営する津波の被害を免れたホームセンターの店長は、クビ覚悟で、列をなす被災者に灯油を無料で配った。代金はあとでいいからと、ノートに金額を書いてもらい、電池やカセットコンロも売った。「よくやってくれた」。大山が長年考えていたことを、社員が率先垂範したのだ。
「ピンチはチャンス」の口癖通り、大山は大震災をも成長のステップにする・・
詳しくは原文をお読みください。社長には、いつも厳しい意見をいただいています。

大震災、変わらない日本社会、変える日本社会。2

4 すると、私たちがすべきことは、「何を変えるか」を考えることです。
その一つは、原発の管理政策や想定外の大災害への備えなど、今回明らかになった欠点や教訓を踏まえた対応です。科学と社会や政治との関係も、見直すべきでしょう。「防災から減災へ」は、その一つです。
また、被災地を元に戻すだけでなく、「課題先進地」ととらえ、新しい地域社会作りに挑戦することです。過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化に対して、どのようにして活力ある地域社会を作っていくかです。復興庁では、「新しい東北」という概念で、地元の人たちとそれに取り組んでいます。
その他に、私が期待して試みているのが、「社会を支える官・共・私=行政、NPO、企業のあり方の変化」です。藤沢烈さんのインタビューや拙稿「被災地から見える町とは何か~NPOなどと連携した地域経営へで述べていることです。
この変化は、政府が「指導」したり予算を付けただけでは、実現できません。公共施設や制度資本は行政が作ることができますが、関係資本や文化資本は、行政だけでは作ることができません(拙著『新地方自治入門』p190)。企業(経営者と従業員と株主)、NPO関係者、有識者、そして国民の意識が変化する必要があるのです。それを直接変えることはできませんが、誘導することはできます。関係者で協働しながら、国民を巻き込んでいくのです。良い事例を積み重ね、マスコミがそれを報道してくれることで、国民に認知されます。

5 社会は、「変わるもの」か、「変えるもの」か。
社会学者なら、日本社会の変化を「観察」して、その特徴をまとめれば済みます。しかし、社会の参加者である官僚も国民も、観察だけでは不十分で、「何をどう変えるか」にかかわる必要があります。そして「そのためにどうするか」を考えなければなりません。もちろん、社会は自ら変わるものですが、ある理想像があるのなら、それに向かって変えていくべきです。
私は、既に述べたように、現地の地域社会に関しては「過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化地域で、どのようにして活力ある地域社会を作るか」(新しい東北)であり、日本社会の意識に関しては、「公共を支えるのは行政だけではなく、官・共・私=行政・NPOや中間集団・企業の3者であることへの変化」(企業との連携NPOとの連携)と考え、挑戦しています。
また復興行政に関しては、目標を「国土の復旧」だけでなく「暮らしの再建」へ範囲を広げることや、「前例がありません」といった「官僚批判の定番」を克服することも、試みています。
6 大震災を「戦後日本」を終えさせるもの、そして「ポスト戦後」の契機と位置づける考え方もありますが、それについては、別途書きます。

追伸
朝日新聞オピニオン欄3月13日に、塩野七生さんが「東日本大震災3年。これからを問う」で、「あれから3年がたちました。日本は変わったと思いますか」という問に、次のように答えておられます。
・・外から見てきて思うのは、現状への不満や抗議が日本を満たしている感じがすることです。ローマで日本の新聞を見ても悲観的なことばかり載っていて、読むと暗くなる。この3年で変わったか変わっていないかを問題にするよりも、重要なのはこれからどうするかです・・