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シェイクスピアの初版本を探す

エリック・ラスムッセン著『シェイクスピアを追え!』(2014年、岩波書店)が、おもしろかったです。
シェイクスピアの戯曲の数々(台本)を本にした、ファースト・フォリオ(最初の本格的な本)は、彼の死後1624年にロンドンで出版されました。400年前の話です。現在、初版本が全世界で、232冊確認されています。
2002年には、1冊が700万ドル(1ドル100円で換算して、7億円)で売買されています。貴重なので、有名人から有名人に引き継がれ、そしてたびたび盗難に遭っています。それを追いかけたのが、本書です。小説よりも奇なりな本の生涯と、それを追いかけた執念をお読みください。
本と言っても、現在の本屋に並んでいるような単行本とは違います。高さ36センチ、幅23センチ、厚さ8センチの大きさで、908ページの大きなものです。それを盗むのです。まあ、有名な茶碗・大名物の持ち主の歴史、盗難の歴史といったら良いでしょうか。
日本では、明星大学図書館が、12冊も所蔵しています。そして、インターネットで画像を公開しています。検索ページで、title Hamlet Act1 Scne1 Line1を選ぶと、ハムレットの台本の1ページが出てきます。

大震災、変わらない日本社会、変える日本社会

「震災から3年、社会の変化」(藤沢烈論文)の続きです。
これまでもしばしば、「震災で、日本は変わったか」という質問を受けました。この質問をされる方の多くは、「変化を期待していたのに、変わっていない」という認識を基にしておられます。そのようなときに、私は、「どの分野をさして、議論しておられますか?」と、議論の土俵の設定から話を始めます。私の暫定的な答は、次の通りです。
日本社会は、大きくは変わっていません。
1 あれだけの大災害にあって、被災者も国民も、冷静に対応しました。略奪も暴動も、起きませんでした。
これは、他の先進国にも途上国にも見られない、すばらしい社会であり国民性です。このような社会は、変わることなく育てていく必要があります。
2 大震災は大きな被害をもたらしましたが、日本全体から見ると、限られています。3県の人口やGDPは、約5%程度です。避難者の数だと、人口の0.4%です。その他の地域と国民が支援することで、復旧・復興できるのです。
日本国民の大半が大きな被害にあったなら、違った光景が広がっていたかもしれません。
3 (質問者は)「どの点が、どのように変わるべきであった」と、考えておられますか?
もちろん、原発の安全神話は崩れました。科学者に対する信頼や、原発行政を管理していた省庁や東電に対する信用も、崩れました。しかしそれは、日本社会の意識構造全体を変えるまでには至っていません。
第2次大戦で日本が負けたといったような場合とは、異なります。国土の物理的破壊が、社会の意識的変化になるには、それなりの条件が必要です。
そして、日本社会の意識構造全体が変わる際には、政治構造の変化を伴うのでしょう。今回の大震災は、未曾有の大災害でしたが、そこまでは至っていません。国民は、政府に対する不信を募らせましたが、他方で一定の信頼も続いています。(政権交代はありましたが)、日本の政治体制、代議制民主主義、内閣や行政に対して、評価しています。あるいは、これに変わる代案はないと、考えているのでしょう。
「抜本的な改革」は聞こえはよいですが、何をどう変えるか明言しないと、それだけでは内容を伴っていません。それよりは、現体制を前提としつつ、欠点や課題を解決することを、国民は支持しているのだと思います。
この項、さらに続く。

ゆったりとした休日。職場と、ささやかな幸せ

3.11をはさんで、怒濤のような数週間が過ぎました。忙しかったです、ハイ。資料は、たまるばかりでした。
昨日の土曜日と今日の日曜日は、ゆっくりと職場で、資料の整理と思考の整理ができました。でも、資料を整理すると、次の課題が浮かんできて、また仕事を増やしてしまいます。職員のみんな、ごめん。
かなり整理が進んだと満足しつつ、まだまだ机の上には、資料が残っています。しかし、全てを一度には無理ですから、良しとしましょう。切り抜いた新聞記事も、このページで紹介できないままに、たまっています。また、この間に考えたことなども、パソコンのメモに、たまりっぱなしです。追々、取り上げましょう。
復興庁の職場では、増員の準備で、またまた配置換えをしています。引っ越し業者と、電気・電話・通信業者が、作業をしてくれています。これまで3つの階に別れていたのですが、とうとう4つめの階も借りることになりました。民間ビルなので、開いた部屋があったのですが、まとまっては取れないのです。
帰りには、買おうとメモしてあった本を、紀伊國屋で。ついつい、その近くの棚の本も、買ってしまいました。また、久しぶりに、近所の地酒屋さんに行って、1升ビンを一本。親父さんに、いつものように「切れ味が良く、水みたいなの」を選んでもらいました。
キョーコさんが出してくれるおいしい料理、そして先日来紹介している「復興行政への高い評価」をもらったこと、さらに友人が昇進するニュースなどで、今日は満足した休日の夜を過ごせます。ささやかな幸せですね。もっとも、国会が続いていますし、復興はまだまだです。

復興支援が終わった後に

被災地には、外部から企業やボランティアが、様々な支援に入っています。これは引き続きお願いするとして、いつかは自立しなければなりません。外部からの支援が終わった後に、現地でどのようにその芽を育てるか。次の課題です。
まず、NPOについてです。「東北復興新聞」が、「大船渡市市民活動支援センター」の開所を伝えています。沿岸部では初となる、公設民営の常設型NPO支援センターだそうです。地域のNPOや市民団体、企業、行政がセクターを超えて情報を共有しネットワークを築くことで地域活動を活性化し、市民参加による復興のまちづくり促進を目指します。
・・大船渡に限ったことではないが、外部から支援に入った団体は少しずつ姿を消しつつあり、人・モノ・カネのあらゆる面での支援が縮小していくことが課題となる。大関さんは、「これまでは、国や県などの公的支援のほか、県外からも多くの援助があり、被災地の活動はいわばゲタを履かせてもらっていた状態。これから各地域の真の実力が試される」と気を引き締めている・・
企業の支援については、「復興経営人材募集」(RCFとビズリーチ社)を紹介します。
・・これからの東北には、地域づくり・事業づくりを推進する担い手が必要です。各自治体では、水産業や農産物など地域にあるものを活かして新しい事業をつくっていこうという動きが活性化しています。いつまでも「復興支援」という名目で商品を買ってもらえるわけではありませんし、生産者主体のプロダクトアウトの考え方では通用しません。消費者が欲しいと思う付加価値を持った商品をつくるために、商品づくりやマーケティングを一から見直し、事業そのものをつくり直していくことが求められています・・
その問題意識と取り組みを、お読みください。

春が近づいています

玄関の椿が、いくつか花を咲かせました。去年は、3月20日でした。そのあと、Sさんのご主人に手入れしてもらったので、今年はつぼみが鈴なりです。これからしばらくの間、楽しめそうです。その横の水仙は、雪の重みで折れましたが、花を咲かせています。
Nさんちの紅梅は、雪の重みで幹の途中で折れましたが、枝は横たわったままで満開です。Tさん宅のミモザも、鮮やかな黄色い花が真っ盛りです。「切って持っていく?」と言ってもらいましたが、「そこで咲かせるのが一番ですから」と断りました。桜のつぼみも、膨らんできています。
プロ野球のオープン戦も始まりました。肝冷斎が、目を覚ましました。楽天イーグルスは、今年も調子が良さそうです。