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復興支援、民間への期待

今日は、JCN(東日本大震災支援全国ネットワーク)主催「第3回全体ミーティング – まだまだやれることがある – 」に行ってきました。JCNは、被災者や避難者の支援活動に携わるNPO、企業等が参加する全国規模の連絡組織です。
パネルディスカッションでは、NPOの方々の他に、金田晃一 さん(武田薬品CSR部シニアマネージャー)、阿部陽一郎さん(中央共同募金会企画広報部長)らと、これからの企業やNPOのを話してきました。私は、これらの方々にお礼を言うとともに、これからのお願いをする立場です。100人を超える参加者が、聞いてくださいました。武田薬品の大震災支援については、こちら
このページでいつも述べているように、復興は、行政だけではできません。企業、NPO、コミュニティなどさまざまな人の参加が必要です。復興が本格化し、現地で必要とされる支援も変わってきています。企業の皆さんには、「民間企業による支援の分類」を示し、NPOの方には「NPOが活用可能な政府の予算」をお示ししてきました。
また、「ソーシャルメディアマーケッティングラボ」に、「東日本大震災復興支援に見るCSR活動の今」が載っています。そこでは、ヤフー、セブン&アイ、富士フィルム、キリンビール、JTB、JALなど大手企業による復興支援がまとめられています。
・・持続的に支援するために「復興のために自社の本業で役に立てること何か」というように、本来の事業とリンクさせたCSR活動に取り組む企業が増えてきたように感じます・・藤沢烈さんに教えてもらいました。

今日は金曜日

今日は金曜日。今週も、あっという間に、5日間が終わりました。月曜朝に、「あと5日働いたら、土曜日だ」と言っていたのが、昨日のような気がします。
夕方帰ろうとしたら、「帰りがけに、ちょっと良いですか」と、次々と職員が、仕事を持って入ってきました。久しぶりに、「岡本統括官の帰宅を邪魔する会」の会員たちです。
私は職場で、上司を「こき使う」部下たちに、恵まれています。K参事官、H参事官、Y参事官・・・。「この(分厚い)資料を読んでください」「この会議に、私の代わりに(!)出席してください」「××議員のところに、ついて行ってください」と。
年度末ということで、職場の内外で送別会もたくさんありました。復興庁でも、民間や自治体から来てもらった職員、任期付き職員の何人かが、去って行きます。苦労をかけた職員に、お礼を申し上げます。ここでの仕事と苦労は、めったにない経験です。その経験が良い勉強になり、これからの仕事に役立つことを希望します。また新しい職場に移る人には、新天地での活躍を期待します。
今週、東京では、桜が開花しました。もっとも、まだ開きかけで、華やかさにはほど遠いです。我が家の椿は、今年は例年になく、たくさんの花を咲かせています。赤い花がまさに鈴なりです。100個近くもありそうです。お向かいのSさんに、手入れしてもらった成果です。
対に植えてあった夏椿は、数年前に、水やりが悪く枯れてしまいました。先日、植え替えてもらいました。今年は、白いきれいな花を楽しめそうです。

国会対応、職員の長時間残業

28日は、午前中に参議院本会議で、平成24年度の決算が審議されました。復興庁担当の質問は少なかったのですが、最後の質疑者の質問が判明したのが、27日の24:00でした。その中に、復興庁が担当する総理答弁があったのです。職場に残っていた職員が、大至急で答弁案を作ってくれました。それも3つの班にまたがる問なので、それを調整して、私の携帯に送られてきたのが25:28でした。24時に質問が判明するまでの間、霞ヶ関では、膨大な数の職員が待機していたのでしょうね。
復興庁では、国会班が目星を付けて、当たらないだろうという班には帰宅を許し、連絡が取れるようにしてありました。目星が当たって、残っていた職員で案を作成し、それぞれの班の責任者の確認を受けて(たぶん携帯メールで)、私に送ってくれたのでした。もちろん、私は熟睡中で、着信音で目を覚まし、携帯メールで文章を確認し、「了解」と返事を打ちました。原案のできが良かったので、一発回答でした。しかも、国会班は「たぶん、岡本統括官は寝ているだろう」と推測し、24:00の段階で、「質問が当たったので、答弁案ができたら送ります」という予告メールを送ってくれました。でも、そのメールを見ても、再び熟睡。朝、職員に「何時間寝たの?」と聞くと、ある職員は「3時間」、別の職員は「2時間」とのことでした。
この労働状態は、国民の皆さん、特に民間企業の方には、恥ずかしくて言えない話ですね。

被災地を「観光」の対象にする

今日は、いわて復興ツーリズム推進協議会の「新しい学びの場としての被災地の可能性」報告会に、挨拶に行ってきました。
この事業は、復興庁が進めている「新しい東北」の先導モデル事業として採択したものの一つです。岩手県沿岸部に、人を呼び込もうという試みです。この地域はリアス式海岸で景観もすばらしく、観光地としては優れているのですが、いかんせん、遠いです。いつも書いているように、新幹線の駅から、バスで2時間以上かかって、山を越えなければなりません。また、日本人の観光には必須(?)の温泉なども恵まれていません。
ところが、このモデル事業では、震災を逆手にとって、被害と教訓を「学びの場」として、売り出そうとしています。モデル事業として何回かツアーを行いましたが、ターゲットを企業や自治体の研修に絞っています。実は、他の地域でも、新規採用職員研修に、被災地で語り部から体験談を聞いたりボランティア活動を組み込んでいる会社もあります。
また、報告会での講演に入っていますが、ハーバードビジネススクールがフィールドワーク(IXP イマージョン・エクスペリエンス・プログラム)に、被災地を組み込んでいます(日経新聞が2月17日の記事で取り上げています)。山崎繭加さん(ハーバード・ビジネス・スクール日本リサーチ・センター)による去年の紹介

現在日本の政治分析、政治部の役割

3月24日の日経新聞「核心」は、芹川洋一論説委員長の「自民党2.0の危うさ 新たな統治の技見えず」でした。
・・自民党がすっかり変わってしまった。派閥がこわれ、権力の重心が首相官邸にうつり、保守の色合いがどんどん強まってきた―。
政権党にもどって1年3カ月。1955年の保守合同から来年で還暦。一党支配の55年体制下での自民党をバージョン1とすれば、現在はバージョン2=2.0。時代も、制度も、組織も、なにもかもが違っているのだから当たりまえだ。自民党は昔の自民党ではない。
そこで問題なのが統治の技法だ。1.0のころ、つちかったものは、すでに通用しない。だとすれば、新たなやり方を探っていかなければならないはずだが、どうにもはっきりしない。
政治を変えるのは、制度なのか、人なのか、しばしば議論のあるところだが、この20年の日本政治をふりかえると、制度の変更がまちがいなく効いている。
ふたつある。ひとつは、小選挙区の導入・政治資金の規制・政党交付金の創設を3点セットとした94年の政治改革だ。もうひとつは、省庁再編で首相のリーダーシップの強化をめざした、橋本龍太郎首相による「橋本行革」である。こちらは2001年からだから10年以上になる。
政治を突き動かすのに人の要素もやはり否定できない。「自民党をぶっ壊す」といって本当にその通りにした小泉純一郎首相の存在を抜きにして自民党の考現学は語れない。自民党1.0から2.0への分岐点は、01年から06年まで5年5カ月つづいた小泉政権にあったとみてよさそうだ。
その変化は何なのか。列挙してみよう・・
として、次の3つを挙げておられます。。
その1=派閥連合体から議員集合体へ
その2=ボトムアップの政策決定機関から「官高党低」の政策追認機関へ
その3=現世利益追求型から保守の理念追求型へ
詳しくは、原文をお読みください。
もちろん、自民党が変わった、あるいは統治の技法が変化せざるを得ないのは、日本社会が西欧への追いつきに成功し、豊かな成熟社会になったこと、また冷戦の終了と新たなグローバル化という、内外の条件が変わったことに、大きな理由があります。そして、野党との間に明確な対立軸を設定できていないことも、一つの要因(結果?)です。
さて、芹川論文に戻ると、切れ味の良い現代日本政治分析です。マスコミの政治部には、このような分析、論文が欲しいですね。日々のニュースを追うより(特に番記者として政治家を追いかけるより)、現在の政治の何が問題なのか、そしてその原因や対策を書いて欲しいです。