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覇権国家イギリスを作った仕組み、7

しばらく中断していましたが、近藤和彦著『イギリス誌10講』の続きです。
6 歴史の見方、書き直し
かつての歴史学が扱った「政治史、英雄の歴史」と、新しい歴史学が扱う「社会の歴史」をどう繋ぐのか。「歴史の書き直し」によって、歴史はどのように変わって見えるのか。この本は、その答になっています。先生の視点は、イギリスが直面した「社会問題」を、国家はどう解決したかです。
そもそも、この本を読んだきっかけは、近藤先生の「世界史が書き直された」という文章からでした(2014年7月6日)。その際に、かつての「英雄の歴史」ではなく、「社会の歴史」を書くとしても、その2つを繋ぐ必要があります。2つを別々に記述しただけでは、「歴史とは何か」という問に答えたことにはならないのでしょう。
すると、社会の変化が、支配者や支配階級の意図とは別の要素で起きているとしても、その社会の変化に支配者や関係者はどのように対応したのか、しなかったのか。そこに、自然発生的と見える社会の変化と、それを進める・押しとどめる・亀裂を防ぐ「人為・政治」との相互作用が、「歴史とは何か」の答になるのでしょう。私は、近藤先生の話を、このように理解しました。
さて、歴史は過去の出来事であり、既に事実となっています。それを、後世の人が見る際に、角度を変えると、こんなにも違って見えるものなのか。なるほどと思います。E・H・カーによる名言「歴史は、現在と過去との対話である」(『歴史とは何か』邦訳1962、岩波新書)を、思い出させます。
このような、社会の変化と政治(関係者の対応)との相互作用の経過と結果を歴史とするなら、それは歴史小説に書かれるような英雄と戦争の歴史ではなく、また劇的な出来事の歴史でもありません。たぶん、もっと時間は長くかかり、登場人物も有名人だけでなく(相手が社会なので)、血湧き肉躍る話ではないのでしょう。映画には、なりにくいですね。
この項続く

インターネットによる攻撃

政府機関を狙ったインターネットによる攻撃が、さらに激しくなっているようです。さまざまな対応がされています。復興庁でも、一定のルールで、外から来たメールを「隔離」する仕組みを入れています。今日の会話です。私の携帯電話が鳴りました。
職員H「見てもらいたい資料があるので、私の自宅からメールで、岡本統括官の自宅と職場のパソコンに送りました。職場にも着いていますよね」
この職員は、私の行動をよく知っています(笑い)。
全勝「今見ているけど、職場のパソコンに着いていないよ。アドレスを確認してみて」
職員H「まちがいないです。なぜでしょうね。じゃあ、家に帰って、自宅のパソコンで見てください。対応は、月曜日で良いので」
全勝「了解・・・ちょっと待って。あなたからのメールは、迷惑メールと認識されて、隔離されているのかも」
確認したところ、やはりそうでした。受け取り拒否を解除して、読むことができました。
少々面倒ですが、安全を守るためには、仕方ないことです。でも、個人の自宅のパソコンは、ここまで厳重に警戒していませんよね。ウイルス対策ソフトは、入れてありますが。先日届いた見知らぬ方からのメールに、添付ファイルが付いていました。怖いので、ファイルを開かずに対応しました。

夏休み

実は、13日から夏休みを決行中です。部下から、「部下が休みを取りやすいように、上司から休んでください。決して、職場に出てきてはいけません」と、釘を刺されたのです。とはいえ、メールは、どこまでも追いかけてきます。

三会堂ビルの周辺、大規模再開発

復興庁が入っている民間ビルの周囲で、大きな市街地再開発が進んでいます。「赤坂一丁目地区第一種市街再開発事業」です。大小何十ものビルを壊し、細い道路も取り込んで(つぶして)、大きな高層ビルと広い緑地空間を作るのだそうです。施工区域が2,5ヘクタールもあります。復興庁の入っているビルも、その区画の一画にあるのですが、なぜかこの再開発に参加していません。計画の地図で見てもらうと、施工区域の東北角に白い5角形があります。これが私たちのビルです。
ビルの取り壊し工事が進んで、日に日に空が広くなっています。復興庁の南隣のビルも、半分ほど解体されました。すると視界が開け、7階と6階の南側の窓からは、その南にあるアメリカ大使館が間近に見えるようになりました。私の執務室も6階にあるのですが、私の部屋は北向きなので、残念ながら窓からその景色は見えません。

伊勢神宮、色がついている

先月、キョーコさんのお供をして、伊勢神宮に行きました。昨年、遷宮があって、まだまだ参拝客で賑わっています。私は何度も行っているのですが、今回勉強になったことがあります。外宮入り口に「せんぐう館」という展示施設ができています。わかりやすい展示です。というか、神宮の中には解説の立て札もなければ、そもそも社殿に近づけません。格式高い神社ですからね。外宮の正殿の原寸の模型(東側4分の1分)があり、私たちが近づくことのできない正殿の造りがわかります。そして、係員による、詳しい説明があるのです。正殿は神様が暮らしておられるので、屋根には上ってはいけないのだそうです。そして、20年間補修せずにおくと、茅が朽ちるので、立て替えます。というか、20年間持つだけの分厚さがあります。屋根以外は、掃除はするのだそうです。
さて驚きは、欄干の擬宝珠に色がついているのです。この写真で、少しわかりますかね。銅板の上に特殊な技術で色を付けるのだそうです。五色です。神宮では古来の伝統を守っている、日本の神道は質素であると信じていた私には、衝撃でした。奈良時代に、このような飾りを付けたようです。当時としては最先端の技術で、神様を喜ばせたのだそうです。伊勢出身の某人にこの話をしたら、彼は子どもの時に、お白石持に参加して、正殿を間近に見たそうです。