岡本全勝 のすべての投稿

副業

昨夜は、東大で客員教授をしたときの学生さんが、「同窓会」をしてくれました。2002年度と2003年度の合同です。大学院で研究を続けている人、官僚になった人と内定した人、民間への就職が内定した人。それぞれ、元気でした。

三位一体改革25

19日に、関係閣僚と地方団体代表との協議(分野別2回目)が行われました。新聞各紙によると「また平行線」だそうです。産経新聞によれば、「経産相が容認姿勢」とのことです。他の省の主張は、再度出席した厚労相を含め、補助率カットと交付金化です。
これが、地方団体の意見及び総理の趣旨にそぐわないことは、みなさんご承知のとおりです。補助率カットでは、地方の自由度が上がりません。それは、単なる負担の転嫁です。交付金化では、税源移譲になりません。地方団体が言うように、こんな会合だったらやってもムダですわ。調整なんてできません。
「総理の指示であっても、抵抗さえしていれば、進まない」といった「ごね得」は許されるのでしょうか。たぶん、総理は認めないと思います。
ある記者さん曰く、「地方団体は、自民党の有力な支持母体ですよ。総理も自民党の議員も、それを怒らせるような決着はできませんよね」。
でも、想定したくありませんが、地方案が進まない場合には、地方団体は「どのようにぐれるか」考えておくことも必要でしょうか。(10月20日)
20日の参議院予算委員会で、麻生総務大臣と財務大臣が対立したと、各紙が伝えています。所得税から3兆円税源移譲すると、交付税原資が1兆円(3兆円×32%)減ります。財務大臣は「新たに財源を見つけるのは難しい」。麻生大臣は「交付税が減少すると地方の財源不足が拡大する。いろんな手法で埋める」と答えておられます(朝日、毎日など)。
どちらが正しいか、よく考えてください。一見、財務大臣の説も、正しいと思えますよね。いつも私が使う「国の予算と地方財政計画の4本柱図面」で考えてみてください。3兆円税源移譲すると、国は△3兆円(税源移譲分)+1兆円(交付税跳ね返り分)=△2兆円です。ここで、財務大臣の手品がばれます。財務大臣がわかって言っておられるのか、事務方に言わされておられるのか・・。
21日の記者会見で、香山総務事務次官は次のように答えています。「これは、当然補てん措置を講ずべきものでありまして、この点については議論の余地はないと、私共は思っております。交付税の率を上げるのか別の方法をとるのか、そこはいろいろとこれからの議論だと思いますけれども。所得税が減ったために反射的に交付税が減る分については、減りっぱなしということは断じて有り得ないことでして、当然そういうことに臨んでいきたいと思っております」。
産経新聞は「三位一体:乱戦の構図」「倒閣か族つぶしか:首相vs族議員」を解説していました。何回か解説したように、この構図は本質的ではありません。でも、こういう対立構図は、小泉改革には有効でしょう。
ある記者曰く「小泉総理は、族議員と官僚の抵抗を『歓迎して』おられるでしょう。そうすれば、世論がますます小泉を支援すると。『私は旧来型の自民党をブッ壊す』ですよ」。なるほど。(10月21日)
22日の経済財政諮問会議では、交付税改革が審議されました。民間委員、麻生大臣、財務大臣がそれぞれ資料により、主張を述べられたとのことです。議論のポイントは、地財計画と実態との乖離をどうするかと、中期見通しをどうつくるかです。
もちろん財務省の主張は、交付税を大幅削減するためのものです。そのため22日の朝刊には、財務省の主張がいくつも「リーク」されていました。
夕方、国会から帰ってきたら(毎日国会に出勤しているので)、何人もの記者さんから「7兆円も交付税を削減したら大変ですが・・」と問い合わせがありました。
全:「そんなの、大蔵のいつもの手口やんか。毎年、夏と今頃になると、こんな記事が出るで。去年の新聞見てご覧。記者さんは1年で交代するから、知らへんのやなあ」
記:「そうなんです。でも、私だって、主計官から紙を貰ったら、喜び勇んで書きますよ。で、どうなるんですか」
全:「地財計画と交付税を削減するのは、閣議決定済み。ただし、安定的な財政運営ができるだけの額は保障することも、書いてある。16年予算で減らし過ぎて、地方団体の猛反発をくらったからね」
記:「じゃあ、削減額は、16年度とゼロとの中間ということでしょうね」
全:「12月末に予算が決まったら、二人で検証しようや」
地財計画議論の2つのポイントについては、別に解説しましょう。(10月23日)
23日の各紙は、22日の経済財政諮問会議を載せていました。総理は、義務教育費国庫負担金の削減に文部省などが強く反対していることについて、「みんな反対、反対という。しかし、やらざるを得ない」と記者団に述べ、地方案に沿って削減案をまとめる決意を強調しました(毎日新聞、読売新聞など)。
産経新聞は「三位一体・乱戦の構図」第3回を、毎日新聞は宮田哲記者による「ヤマ場の補助金削減・地方も問われる説明責任」を載せていました。24日の東京新聞は「三位一体改革ヤマ場へ」「地方:自由な財源、分権加速vs省庁・族議員:なくなる仕事・影響力」を解説していました。(10月25日)
26日の東京新聞は、「補助金削減の衝撃・三位一体改革の今」上「自立」を載せていました。「地方にとって三位一体改革は、国への依存体質から脱却するチャンス。だが、カネを手にすると同時に責任も負う。地方の想像力、そして覚悟が問われることになる」(10月26日)
25日の日本経済新聞社説「地方の自由度を広げる補助金改革に」は、三位一体改革の理念や意義をわかりやすく解説していました。「失敗は住民の責任に」とです。優れた論文だと思います。ぜひご一読ください。(10月25日)

本業

新潟中越地震や台風被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。総務課長は、総務省の災害担当もやってます。主に活躍するのは消防庁ですが、通信や放送の被害、被災地支援などもあります。23日の夜から、忙しくなりました。職員は交代で24時間勤務です。

付き合い、または生き方について

今日は、高校の同窓会関東地区総会に行ってきました。昭和22年卒の先輩から昭和63年卒の後輩まで、といっても70人ほどが集まりました(私は48年卒です)。彫刻家の先輩坂口紀代美さんのスライド付きお話や、ジャズピアニストの後輩安井さち子さんの演奏など、ふだんにない時間を過ごしてきました。
男社会への批判、特に官僚やエリート社員の文化への無理解、それが日本を悪くしていることへの批判に議論が及びました。「社畜」の男性に比べ、女性は元気ですよね。もっとも、これも一般論にしてしまうと、批判が来ますが。「私も、社畜の代表である官僚ですが、フルートやお茶をやってます。もっとも、それでみんなに迷惑をかけています」と言って、許してもらいました。この点については、拙著「新地方自治入門」p322~(私たちの思考の枠組み・生活がつくる思考の型枠)で述べました。
昨夕は、あるホームパーティに招かれて、夫婦でお邪魔しました。そこでは、「現代日本の都会には、社交がない」ということでした。これもまた、仕事をとったら何も残らない男どもへの批判でした。(2004年6月12日)

23日の朝日新聞奈良版「高校人国記・奈良女子大付属」に、小生が出ていました。先輩である中西晴史日本経済新聞編集委員が、知らせてくださいました。生徒会長で制服を自由化したのは、33年も前のことになりました。息子が、当時の私と同じくらいの年ですからね。当時の校長先生は、門脇禎二奈良女子大教授(後に京都府立大教授、日本古代史で有名です。NHKブックス「飛鳥」とか)でした。校長室で議論をした(させていただいた)ことを、覚えています。先生は、「僕は学生服も好きなんだが」とおっしゃいました。小生は、「学生服は廃止しません。自由化だから、好きな人は着てくればいいんです」と答えました。
ある人が、メールをくださいました。「岡本君は、高校生の時は『学生服廃止』を運動し、役人になったら『お仕着せの制服である補助金廃止』と、同じ様なことをいってるのね」。指摘されて気づきました。ハイ。

提言・国家官僚養成2

その1」から続く。
②入省後における国家的視点養成の欠如
採用後は、各セクションで与えられた法律の解釈と実行をこなすばかりなので、省の枠をこえ、日本全体のこと国民のことを考える意識が次第に希薄になり、目の前の仕事しか見えなくなってしまいます。
キャリアアップの時点において、日本全体のことを考える訓練の機会がないうえ、私の入省当時と比べても、現在の若手の方が残業時間の長さ一つをとっても、忙しくなっています。これではますます大局観を養う時間的余裕がありません。
③官僚個人が実名で国の政策を論じ、発言する場が皆無
官僚が活字で政策に関与する機会いえば、白書や法の改正案など、匿名での執筆に限られています。他方、実名の場合は担当している政策の解説にほぼ限定され、局や省を超えた国家のあるべき論を主張できる場、機会、媒体は無きに等しいといっても過言ではありません。
現在、地方公共団体などでは、実名で自由な発言と建設指向を伴う批判の場を提供する機関誌などありますが、少なくとも霞が関にはない。官僚はもっと、恐れず、はばからずに発言すべきです。
このように、入省以前から入省後、そして官僚生活が定着するまで、こうした悪循環が続き、国家全体を考えなくなります。結果として、官僚に対する国民からの信頼は、ますます低下してしまいます。
現在、霞が関には約四万人の官僚がいますが、ほとんど皆が同様の危機感を抱いていると思います。誰もが心のどこかで何とかしなければ、と思っていながら、日々の業務の中でなんともできない、そんなやりきれなさを抱えでいるのではないでしょうか。
思い出すのは今から二十五年前、私が入省したばかりのころ、先輩からこんな謎かけをされました。「岡本君、今の霞が関は江戸末期の幕府官僚似ているだろう」と。
当時の江戸幕府には、門閥などもありましたが、養子縁組もあり、総じて優秀な人材が集い、俊英で構成された一大組織でした。が、その俊英ぞろいが、黒船来航時にあわてふためくだけで、あるいは評定を重ねるだけで有効な対策を打てず、逆に田舎侍と侮っていた薩長に大改革を断行されたわけです。これは、頭の良い人材でもセクショナリズムに凝り固まるほど、時流に即した改革ができない、という例証です。
これを現代に置き換えると、三位一体の改革がその象徴でしょうか。中央集権から地方分権へと構造改革を進めていく過程で、補助金削減については総論賛成各論反対により議論が停滞し、結局地方に改革案の作成をお願いすることになった。とはいえ、地方にできるわけがないと多寡をくくっていたところ、思いもよらず地方が案をまとめてしまった。こういう構図が、幕末のころと不思議なほど重なり合います。
フリー・エージェント制導入で精鋭集団を
現在の閉塞感を改めるには、何より現行の人事・キャリアアップ制度を改める必要があります。各省ごとの人事管理を存続するのであれば、少なくともその上に、各省に属さず、日本全体を考える官僚集団を設定せざるを得ないのではないか。言うなれば1種の上に、「スーパーゼロ種官僚」を置く形です。所属としては内閣官房あるいは内閣府で、各省にも配属されます。
採用後しばらくは基礎教育を施すために、各省に入省させて訓練を積み、各局総務課長くらいになったら、プロ野球選手のようにフリー・エージェント宣言をさせて、出身省庁に残るか内閣に赴くか、本人の意思とやる気に委ねるというのはどうでしょう。各省ごとに現場経験を積んだあと、出身省庁のしがらみから離れ、国家官僚として内閣で国全体の問題を議論し、国の方向性を定める。そういう精鋭集団が、必要となるのではないでしょうか。
今、総理を支えている内閣官房のスタッフも、結局は帰るべき所属省庁があります。それは出向ですから限界がある。将来にわたって国全体を考え、行動する集団を作る必要があるのです。だから、自らの意思で内閣にやってきた精鋭官僚については、退職後の処遇など内閣で引き受けるくらいの度量が必要です。そうすると後顧の憂いなく、むろん出身省庁を気にすることなく、国家全体を考えることができると思います。
私自身、『新地方自治入門-行政の現在と未来』の中で官僚論を書いたり、ホームページを立ち上げて発言の場をこしらえているのですが、それには自分自身の経験が役に立っています。一つは地方自治体(富山県総務部長)に出向し、一つの組織の政策から人事、予算まで、全体を見渡すことができ、かつ責任を持たなければならないという経験をしたことです。もう一つは中央省庁改革本部に在籍し、霞が関すべてを見渡せるポジションで仕事をしたことです。これらの経験が、大変な勉強になりました。
地方では組織運営とはどうあるべきかを学び、改革本部では出身省庁にとらわれず、今後の行政の在り方について考える機会に恵まれました。官僚組織全体のあり方を問う発想、一つの枠を越えて日本社会全体をとらえる目、これらは一つの省庁にとらわれている限り身につきません。
それは官僚個人の潜在能力を考えると、実にもったいない話です。何とか人事制度を改めて国家観を持つ官僚を育て、そして活躍できる場を作るべき。切にそう思います。