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明治維新と戦後改革の違い

粕谷一希著『粕谷一希随想集2 歴史散策』(2014年、藤原書店)、「思いつくこと 着想の面白さ」(p107~)から。
・・明治の歴史記述はずば抜けて面白い。それは維新という近代革命があって、日本の社会がガラリと変わったこと、幕末のころに日本の儒学、蘭学、英語が絶頂に達していたことによるのだろう。
米欧を政府使節について廻った久米邦武の『米欧回覧実記』は生々しく面白い・・
・・総じて敗戦後の日本よりも、維新直後の文章の方がはるかに面白い・・
・・要するに明治国家の当事者たちも、近代国民国家として欧米”列強”に対抗して独立を維持できるかどうか不安だったのだろう・・
私は、明治維新と戦後改革はともに大きな変革ですが、二つの間には緊張感の違いがあると思います。それは、政治指導者たちの危機感の違い(植民地になるかもしれないという不安vsアメリカの指導の下に独立を回復すれば良い)、構想力の違い(これまでのお手本である中華体制を離れ、何をお手本にするかを自ら選ぶ必要があったvsアメリカの指導に従っておれば良かった)だと思います。

Googleによる被災企業の支援活用実態調査、多くの企業が支援を受けていない

Googleと帝国データバンクが、9月4日に、被災企業支援の調査結果を発表しました。藤沢烈さんに教えてもらいました。
被災3県の企業730社を対象に、経営や業績、支援の活動状況について調査したものです。詳しくは調査結果をご覧ください。
そこでは、8割の企業が「震災後に外部支援を受けたことがない」と回答しています。「支援を受けたことがない」とした企業は、売上規模が小さくなるほど増える傾向にあり、その理由は「支援に関する情報がない」「人手がない」です。これは、産業復興に取り組んでいる者とにとっては、厳しい数字です。
売上規模が大きい企業が多いの方が、支援を利用しています。これは納得できます。ところが、支援の利用率が最も高いのは農業で、最も低いのは漁業です。これは意外でした。
活用した支援策は、製造業では、グループ補助金、事業復興型雇用創出助成金、ものづくり助成金、関連会社の指導です。卸・小売業、飲食店では、企業立地補助金、大学と共用研究開発、公的開発資金の補助、サービス業では、震災復興支援アドバイザー制度、被災労働者に対する緊急健康診断事業です。
支援を受けなかった理由は、次のようなものです。
・借金の返済に精一杯で、外部支援について知る機会がなかった。
・情報が入ってこない事には、こちらから調べる事もできない。
・外部支援の存在を知らなかった。
・多忙で人手も足りず、調べられなかった。
・高齢化の為、人材不足。そこまで手が回らなかった。

朝日新聞の記事取り消しとお詫び

9月11日夜に、朝日新聞社社長が、「吉田調書」記事を取り消し、謝罪しました。あわせて、慰安婦をめぐる記事撤回の遅れを謝罪しました。
部下が失敗した場合の上司のお詫び、組織が失敗をした場合の責任者の任務について、私もたくさん経験しています。このページお読みの方は、ご承知のとおりです(仕事の仕方3)。今回の朝日新聞の対応についても、考えることがありますが、それはまたの機会にして。少し違った観点から、述べておきましょう。
12日の朝日朝刊を見て、「天声人語」に違和感を感じました。天声人語は、1面下に載っている、朝日新聞の看板コラムです。その日の1面は、全面が記事の取り消しとお詫びの記事でした。ところが、天声人語は、沖縄の知事選挙についてでした。この取り合わせに、疑問を持ったのです。私が紙面編集責任者なら、このテーマでは載せなかったでしょう。
9月12日の紙面は、朝日新聞が続く限り、あるいは日本の新聞報道の歴史において、長く引用されるでしょう。いささか場違いなコラムとして残ることになります。翌13日の天声人語は、「痛恨事からの出直し」でしたが。
次に、12日の午後に、朝日新聞の紙面の議論に及んだ際に、ある人が「今朝の朝日新聞って、社説はどう書いていたっけ?」と質問しました。別の人が「そういえば、気がつかなかった。でも、1面の左半分が社長のお詫びだったから、あれこそが社説でしょう」と答えました。
気になって後で確認したら、実は社説は載っているのです。16ページに、シリア空爆と法科大学院についてです。これも、どうかと思いました。13日の社説は、「論じることの原点を心に刻んで」でした。
今回の検証とお詫びは、朝日新聞社にとっては大事件です。当日夜の紙面作りでは、大変なエネルギーと作業が必要だったと思います。しかし、この2つの文章を見ると、社としての方針徹底、あるいは社員全員に問題意識が行き渡っているのか。いささか疑問になります。

今日は金曜日

今日は金曜日。今週も怒濤の1週間が終わりました。15分残業をして、17時半には出かけようとしているのに(私は霞が関では珍しく、8:30~17:15を勤務時間にしています)。締め切り間際になって、次々と「ちょっと良いですか」という、部下の仕事攻撃に遭いました。どうせ、そんなことになるだろうと予想して、予定の業務をどんどん前倒しに進めたのですが。
大切な人を待たせるわけにはいかないので、打ち切って出発。「後は、明日出勤して手を入れて、あんたの椅子の上に置いておくわ」と振り切りました。で、明日に続く・・。それでも、昨日も今日も、携帯電話や携帯メールが、次の席まで追いかけてきます。

奇妙な漢字

東京大学出版会のPR誌『UP』2014年9月号、大西克也教授の「屈原との筆談」から。
先生のゼミ「戦国楚系文字研究」で勉強すると、あの世に行って屈原と筆談ができるのだそうです。屈原は、中国戦国時代の政治家です。紀元前300年頃ですから、今から2,300年前の人です。『楚辞』に収められた「離騒」が有名です(横山大観の絵「屈原」も印象的です。厳島神社が所蔵しているとのことですが、インターネットでは良い写真が見つかりませんでした)。
筆談ができるかどうかは、本文を読んでいただくとして。紹介したいのは、その文章に添えられている写真です。戦国時代の楚の国で使われていた文字(漢字)ですが、何とも奇妙な文字が並んでいます。その後、秦の始皇帝によって文字が統一され、滅ぼされた文字です。ご関心ある方は、ご覧ください。