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中世と近代との違い、ものの認識、2

司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」の続きです。p99。日露戦争後のポーツマス条約について。
・・ロシアからもっとふんだくれるかと思っていた群衆が、意外ととりぶんのすくない講和条約に激昂して暴動化した。
「群衆」
これも近代の産物である。江戸期の一揆は、飢えとか重税とか、形而下的なものでおこった。
ところが、明治38年に、ポーツマス条約に反対した「群衆」は、国家的利己主義という多分に「観念的」なもので大興奮を発した。日本はじまって以来の異質さといっていい。中世では個々の人間が激情に支配されたが、近代にあっては個々のなかではむしろそういう感情が閉塞し、どういうわけか集団になった時に爆発する。中世の激情が集団の中でよみがえるといっていい・・・

私事、次官内定

今日3月24日の閣議で、30日付けで復興庁事務次官になることを、了解いただきました。
東日本大震災の発災直後に、官邸に呼び出され、被災者生活支援本部で、この仕事に携わることになりました。あれから4年が経ちました。当初から携わっているのは、中央省庁では私だけのようです。被災者と国家のために働くことができる場を与えていただき、ありがとうございます。公務員人生で得た知識と人脈を最大限に活用して、復興を進めます。
この4年間で、復興はある程度の進展を見ました。関係者のご努力のおかげです。政府でも、これまでにない大災害なので、これまでにない制度改正や、国の職員が被災地に入り込んでお手伝いをするなど、新しい試みもしています。このページでも書いているように、日本国政府と日本社会の能力が試されています。公務員としては、想像力と実行力とが試される機会です。
ただし、原発事故からの復興は、まだまだです。引き続き、総理大臣や復興大臣を支えて、仕事が進むように努力します。今回の復興の特徴である、行政だけでなく、企業やNPOの皆さんと連携して、復興を進めます。引き続き、皆さんのご支援をお願いします。
ニュースで流れたので、被災地、知事、政治家、マスコミ、民間関係者、知人友人、さらに海外からも、たくさんの激励のメールや電話をいただきました。ありがとうございます。

先輩たちも新人だった

日経新聞土曜日の別刷り「プラス1」3月14日は、「先輩たちも失敗した。新社会人に贈る言葉15」でした。第1位は、電話に出るのが怖かった。第2位は、職場の人の顔と名前が覚えられない。3位は、周囲に相談できなかった、です。
皆さんも、覚えがあるでしょう。記事には、「こうしてみよう」という対策も書かれています。良い記事ですね。問題は、新入生はこの記事を読んでいないことでしょう。私は、自治省に採用が決まったときに、先輩から「君は、日経新聞を読んでいないのか。それでは、官僚失格だ」と宣告されました。38年前のことです。それは別として。
あなたにも、このような失敗の経験があるのなら、この春に職場に来る新人に、このような失敗をさせない心配りをしてください。新人は、大卒の新採だけではありません。他部局から異動してくる新人もいます。職場の先輩ができる一番の心配りは、「何でも相談できる雰囲気」を作ることです。「こんなことも知らないのか」と、いらだつこともあるでしょう。でも、あなたも新人の時は、そうだったんですよ。それを叱っては、新人は次から萎縮し、相談できずに傷口を広げます。新人さんを教育して、早く戦力にする。それが、あなたにとっても、組織にとっても、良いことなのです。部下を育てた、あなたの評価も上がりますよ。
「危ないと子を叱るより、手を引こう」。これは、交通安全の標語であり、職場で事故を起こさないための標語でもあります。
以下、4位は寝坊して遅刻、5位は緊張でうまく話せなかったなど。敬語を使いこなせなかったは、11位です。

2,222,222番

今日3月23日に、2,222,222を達成しました。午後に見たら、すでに通り過ぎていました。かつては、キリ番をゲットした方に、拙著を進呈していたのですが。最近は新しい本を書いていないので、賞品がないのです。すみません。もし、2,222,222をゲットされた方がおられたら、画像を送ってください。新著を書いたら、贈呈します。いつになるかわからないので、気長にお待ちください。

中世と近代との違い、ものの認識。司馬遼太郎さん

司馬遼太郎著『明治国家のこと』(2015年、ちくま文庫)、「ポーツマスにて」p98。
・・中世という時代規定はあいまいだが、私のイメージでは、西洋・日本をとわず、人間が、しばしば激情に身をまかせた時代といったふうな印象がある。
さらには、中世にあっては、モノやコト、あるいは他者についての質量や事情の認識があいまいで、そこからうまれる物語も、また外界の情景も、多分にオトギバナシのように荒唐無稽だった。人知が未発達だったということではない。そういう認識の空白のぶんを大小の宗教がうずめていた・・
・・近代においては、社会をおおった商品経済(貨幣経済)が、人間をそれ以前の人間と訣別させた。学校ではなく、社会が、モノやコト、あるいは自他を見る目を育てたのである。
このことは、日本ではすでに江戸中期において、物を質と量で把握し、社会のできごとを商品の流通を見るような冷徹さで観察できるようになっていた。また貸借という行為によって、ヨーロッパにおける意味とはやや異なるものの、個人という意識を成立させた・・