岡本全勝 のすべての投稿

釣った魚に餌をあげる

「釣った魚に餌をあげない」という言葉があります。
初めは相手に気を遣いながら、親しくなったあとは、粗略扱う様子を言います。特に男性が、女性にいろいろと贈り物をしたのに、結婚したら態度を変える場合に使われます。

とんでもない話です。
「釣った魚」は生きていて、水槽に泳いでいます。大事に扱わないと、魚は調子が悪くなります。さらに、妻の場合は足があるので、水槽から逃げていきます。釣ってからの方が、妻を大事にしなければならないのです。ゆめゆめ、粗略にしてはいけません。

わが家では、キョーコさんが私を釣ったので、とても大事にしてくれます。おいしい食事を作って(生け簀の魚を太らせて、食べようとしているのかもしれません)。
魚は飼い主のために、一生懸命働いています。
この項続く。

連載執筆状況

連載「公共を創る」の原稿、第3章1(1)「成長から成熟へ」の残りを書き上げ、編集長に提出したのが、5月3日。ゲラにしてもらい、いくつか気づいた点を加筆して、仮誌面ができました。第46回から50回分です。
コロナウイルスの影響で、毎週連載が隔週連載になったこともあり、なんと7月末掲載分までできました。珍しく、余裕綽々です。

つづいて、第3章1(2)「成熟社会の生き方は」の執筆を進めています。
夜の意見交換会がないので、朝早く目が覚めること。休日に出かけることができないこともあり、進みます。
もっとも、今回はさらに扱う範囲が広く、いつものように難渋しています。思いついたことを書き散らかしてあるのですが、並べる順に苦労し、議論の展開を工夫してと。そしてあやふやな点を、書物などに当たって確認するのが一苦労です。常に気にしていた主題なのですが、私の専門でないので。

官僚にも研究者にも、この分野を広く押さえている人は少ないでしょう。この連載の主題は、社会の変化に追いついていない国民の意識と行政です。しかし、それを所管する組織は、ないのです。
私の挑戦は、一人で取り組めるようなものではありません。執筆は、ある程度のところで妥協し、間違いでなければ良しとします。
約3分の1ができたので、右筆さんたちに送って、目を通してもらっています。

ジョブ型には企業を超えた人材評価基準が必要

5月25日の日経新聞経済教室「日本型雇用改革の論点」は、小熊英二・慶応義塾大学教授の「企業越えた人材評価基準を」でした。

・・・新型コロナウイルスの流行で、日本の働き方が問い直されている。リモートワークが進まない、マネジメントが「あうんの呼吸」に頼りすぎていた、採用面接が多すぎるなど、この機会に露呈した問題は数多い。
こうした問題はただ一つの要因から発生している。人材に対する客観的な評価基準がないことだ。それが日本型雇用の根本問題だ。

他国では職種別の熟練度や専門能力の評価基準が、特に1970年代以降に明確化した。そこでは「経営学修士号」や「英語がCEFRでC1」や「営業職としてA社とB社で職歴10年」といった学位や資格や職歴が、その人が就ける職務とその賃金額という形で評価されるのが原則だ。
これが可能なのは、その人が就く職務(ジョブ)が明確化されており、それに対応した学位がはっきりしているからでもある。米国の教育大学院では、学務登録や教育支援、国際教育などはそれぞれ専門課程があったりする。各自がその専門教育を受けて学位をとり、同じ職種で企業を替えながら経験年数を積み、キャリアアップすることになる。

こういう働き方だと、リモートワークは容易だ。一人一人の職務が明確で、責任の所在や分担がはっきりしているからだ。大部屋での共同作業は必要ないし、あうんの呼吸に頼ったマネジメントもいらない。職務ごとに要求される学位や経験年数が明確なら、何回も面接しなくても、書類審査で絞り込みができる・・・
このように職務が明確化している働き方は、日本では「ジョブ型」と呼ばれる。しかし単に職務が明確化しているだけでは足りない。重要なのは、企業を越えて通用する客観的な評価基準が確立されていることだ。・・・

・・・さらに人材評価の基準がない社会では、教育が人的資本を向上させる機能を果たし得ない。今や世界中で大学院の進学率が上がり、大学院に入り直す人も増えたが、それは修士号や博士号がないと高給の職務に就けなくなってきたためだ。
しかし日本は大学院進学率が停滞し、他国と比べ相対的に「低学歴化」しつつある。これは長期的には日本の国力低下につながりかねない。また修士号や博士号が評価対象にならない社会に高度人材が外国からやってくるとは考えにくい・・・

社会意識調査「現代日本の社会の心」

吉川徹著『現代日本の「社会の心」 計量社会意識調査』(2014年、有斐閣)を読みました。
「日本思想史2」で書いたように、知識人の意識ではなく、大衆の意識を知りたいので。本棚から引っ張り出しました。役に立ちました。一部で私の関心を超える専門的な話もありましたが。

社会意識調査の花形時代と低迷の時代が、説明されています。1980年代まで、社会意識調査が、日本人の階級・階層を説明することに威力を発揮します。ところがその後、社会意識調査の切れ味が鈍ります。それは、階層(上下)と近代化(新旧)という2つの補助線が使えなくなったからだと主張します。
すなわち、貧富の差が経済成長で変化する、また伝統に縛られていた人がそこから自由になる。その過程では、意識調査が社会意識の変化、社会の変化を反映したのです。ところがそれらが完成すると、この軸での調査は変化や社会を説明しません。そしてそれは、日本人論の流行と低迷と歩調を合わせています。
ここは、私の連載で、経済成長期(近代前期)と成熟社会(近代後期)との違いを説明する際に、強い援軍になります。

P103に、日本人の階層帰属意識の分布の変化が載っています。1955年から1975年にかけて、半分以上を占めた「下」が「中」に移ります。折れ線グラフの変化が、一目瞭然です。それに対し、1975年から2010年では、「中」に集まった山形のグラフは、全く変化しません。
国民意識で「一億総中流」が完成し、もはや社会意識調査は「変化を説明する道具」になりません。他方で、格差社会といわれる社会の変化は、この調査では出てこないのです。
「中流」が国民の目指す目標であり、「自分もそこに属したい」「わが家もそこに属している」という意識が固定し、現実とは乖離しているようです。それは、1975年まであるいはその後の調査において、所得などで中流とは言えない人が「私も中流」と答えていたと思われることとも同様です。実態と意識は、ずれます。
P133に、経済成長期(総中流社会)の階層意識と、成熟社会(総格差社会)の階層意識の「根拠」が図示されています。他者との比較とともに、自分の変化(上昇)を織り込んで、回答するのです。わかりやすいです。

著者は、これまでの補助線が使えなくなった今、どのような説明要因が使えるかも、議論します。不公平感、社会参加、多様性、学歴・・。いくつかは説明できますが、切れ味良い指標は出てきません。それが、現代です。

有斐閣の紹介ページには、書評も載っています。インターネットで読むことができる書評にはリンクが張ってあります。これは、便利です。しかも、匿名の無責任な評価でなく、「一流」の書評です。
佐藤俊樹先生の書評と、直井道子先生の書評を読んでください。私の解説は不要です。

連載「公共を創る」第44回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第44回「日本は大転換期―製造業から情報産業へ」が、発行されました。

前回から、平成時代の変化を説明しています。まず経済についてです。
バブル経済崩壊とその後の「失われた20年」は、景気変動でなく、産業構造と国際環境の変化でした。工場がアジアに移転し、また海外の企業に負けるようになると、地方経済に大きな打撃を与えました。

日本経済が、成長期から成熟期に入ったことを、「昭和の成長を主役として引っ張ってきたが、平成時代になって、権威を落とした三つの業種を挙げよ・・・答えは、百貨店と銀行と官僚」という小話で説明しました。
そして、パソコンとインターネットが、仕事も暮らしも変えました。