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四角な座敷を丸く掃く3、先を読む

四角な座敷を丸く掃く2、広く考える」の続きです。

図では、四角い仕事の外に、丸い範囲の考えを示しました。
いま担当している仕事が、組織の中で、社会の中でどのような位置にいるかを知っておくこと。関係する知識を仕入れて、勉強することが必要です。人脈を広げておくことも、ここに入ります。

そして、四角の仕事は、時間とともに変化します。右へ進んだり、上へ進んだり。左に膨らむことも。用済みになって、へこむ部分もあります。その変化を予想することも、重要です。「先を読む」です。
どの方向に動くかを予想する際に、その人の思考の広さが試されます。この予想は、宝くじではありません。これまでの歴史、社会環境の変化で、自ずと進む方向は絞られてきます。トンチンカンな予想をして、全く的外れの勉強をするのか。確率の高い方面を勉強するかです。

あなたは、仕事を小さく丸く掃いていますか。きちんと四角く掃いていますか。もっと広く考えていますか。

『公卿会議』

美川圭著『公卿会議―論戦する宮廷貴族たち』(2018年、中公新書)を読みました。平安貴族たちが、どのように議論をし、国政を動かしていたかです。

天皇制、律令国家の時代です。建前は律令に従い、天皇が決裁します。三権が分立していませんから、立法・行政・司法のすべてを所管します。もちろん重要な案件は、徴税であり、治安であり、貴族たちの昇任です。
しかし、日本の天皇制は多くの場合、天皇独裁ではなく、その部下たちがおおむね決めて、天皇が裁可します。法皇が権力を持つ場合もあります。
すると、その部下たちと天皇との力関係、さらには部下の中での権力の所在が問題になります。摂政・関白が大きな力を持つのか、この本で取り上げられた公卿会議が機能するのか。そして、武家が入ってきます。

その力関係の変化が、解説されています。千年も前の資料が、よく残っていたものです。欲を言えば、具体の会議の内容を知りたかったです。ある案件を取り上げて、どのように会議が進められたかです。もっとも、資料の制約があります。

誰が、何を、どのようにして、決めているか。これは、政治学や歴史学の大きなテーマです。
現在の日本では、日本国憲法に従い、国会が国権の最高機関です。しかし、国会議事録を読んでも、実際の政策の決定過程はわかりません。また、閣議が内閣の決定の場ですが、この記録を見ても、現実の政策決定過程はわかりません。
会議の多くも、そうでしょう。議事録を見ても、誰がその課題を議題に載せたか、事前にどのような調整がされたのか、誰の意見が通ったのかは、わからないのです。会議に載らなかった重要案件も、大きな意味をもちます。
制度と運営の実態は、別物です。

それぞれの国のかたち

12月7日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「道徳観と切り離された報酬額 「常識」あっての市場競争」に次のような発言が載っています。

・・・倫理観や道徳観念は国や地域によって少しずつ異なっている。一般論としていえば、米国では、自由競争、自己責任、法の尊重(逆にいえば法に触れなければよい)、能力主義、数値主義などが大きな価値を持って受け入れられる。しかし、日本ではそうではない。協調性やある程度の平等性、相互的な信頼性などが価値になる。

だが米国流の価値をグローバル・スタンダードとみなした時、グローバル競争は、日本の価値観や道徳観とは必ずしも合致しなくなる。しかしそれでよいではないか。もともとグローバル・スタンダードなどという確かなものはないのだ。あるのは、それぞれの国の社会に堆積(たいせき)された価値観、つまり「常識」であり、そこには明示はされないものの、緩やかな道徳観念がある。企業も市場経済も、この「われわれの常識」に基づいているはずなのである・・・

そうですね。アメリカは、先住民を追い出して、新しく町をつくりました。その際に、自己責任、自由競争、契約などが、共通認識になりました。自治体も、企業をつくる時と同様に、住民たちが規則を定めてつくったのです。連邦政府もそうです。大統領と訳しますが、原語はPresidentで、社長や会長と同じです。参考「契約社会と帰属社会2」

私は、このような各国の社会を支える国民の共通認識を「この国のかたち」と呼んでいます。この言葉は、司馬遼太郎の言葉ですが、なかなかに奥深い言葉です。憲法にも法律にも書かれていないのですが、それぞれの国(国民の多く)が持っている共通観念です。国柄とも呼んで良いでしょう。
かつては、文化人類学などで、各国の社会の特色が比較されました。「タテ社会の人間関係」もその代表です。特に西欧と比べた際の日本の特殊性が取り上げられました。日本文化論です。ムラ社会論や日本軍の特殊性もその列にいます。

道徳のほかに、宗教や習俗なども、この国のかたちを支えています。公共政策を考える際に、これは大きな要素だと考えています。社会的共通資本、関係資本であり、文化資本です。
この国のかたちも、時代とともに変わります。そして、自然体に放置するのではなく、良い方向に持って行くことも、私たちの責任です。
国と同様に、会社には社風があり、地域や家庭にもそれぞれに気質があります。

東京電力、廃炉資料館

先日、東京電力の「廃炉資料館」に行ってきました。福島県富岡町の国道6号線沿いにある展示施設です。11月30日に開館しました。
2011年3月の第一原発事故の状況と、現在進められている廃炉作業の状況を展示しています。これは、わかりやすいです。事故当時の様子が、映像や画像で再現されています。第一原発を視察しても、事故発生当時のことはわかりませんから。
当時を知る人も、事故の概要は知らないでしょうし、若い人はなおさらです。
また、説明の中で、東京電力が事故を起こしたことの反省と、大きな被害を与えたことについて、率直にお詫びをしています。企業の広報施設としては異例ですが、納得できます。

かつて、原子力発電所を宣伝するための施設だったものを、改装しました。
機会があれば、ぜひご覧ください。映像などをすべて見ると、2時間かかるそうです。少なくとも30分以上は必要です。
インターネットで、その要点を見ることができれば良いのですが、まだ開館したばかりで、準備ができていません。充実されることを期待しています。

このほかに、原発事故や放射線、除染などについて説明している施設として、次のようなものがあります。
・福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」。放射線やふくしまの環境の現状を、展示しています。
・特定廃棄物埋立情報館「リプルンふくしま」。放射性物質に汚染されたごみの埋立処分について、わかりやすく学べる情報館です。

今年の秋は何をしたか、去年の今頃は、

先日、「時間が経つのが早くて困る」と、いつものセリフを書きました。
で、どのように時間が経っているのか考えるために、先週と先月、さらにこの秋は何をしたのか、手帳を見てみました。すると、結構いろんなことをしているのです。

毎週前半の福島勤務のほかの本業、金曜日の慶應大学での授業。そのほか、数回の講演会、その合間を縫って「明るい公務員講座」第3巻の加筆。そして、毎晩のように続く異業種交流会。休日は原稿書きのほか、孫の相手、新宿紀伊國屋までの散歩、展覧会巡り。このホームページの加筆も、入れておきましょう。毎晩、時間がかかっているのです。

さらに、去年の今頃は何をしていたか。去年の手帳も読み返しました。
今頃は、日経新聞夕刊コラム連載の原稿を準備していたのでした。すっかり忘れていました。
その頃のことです。いくつもコラムの案は持っていたのですが、「こんな内容で良いのだろうか」と悩み、また先輩から「25回は長いので、途中で息切れするよ」と助言をもらってテーマを並べていたのです。そして、1月4日からの連載が始まる前に、結構な分量を書き上げておきました。

もう、1年が経つのですね。その間に、いろんな本も読んだはずなのですが、何を読んだか忘れています。すごい忘却力です。
毎日、新しいことが、脳に書き込まれます。その際に、もう私の脳は記憶容量が満杯で、過去の記憶の上に上書きされるのでしょう。日々忙しくしていると、そして次々と別のことに取り組んでいる、昨日のことをすぐに忘れるのです。