津波被災地、中心市街地の力の低下

7月11日の読売新聞、毎月11日に連載している「大震災 再生の歩み」は、「客層変化 仕切り直し」でした。女川町で再開したスーパーマーケットの状況です。
・・・ 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町でこの春、町唯一のスーパーが営業を再開した。社長の佐藤広樹さん(39)は9年ぶりの店で張り切るが、客層や売れ行きの変化に戸惑いも覚える。長い歳月をかけた大規模な復興事業によって、町の仕組みが変わり、中心市街地の力が低下したのだ・・・

・・・女川港やJR女川駅の周辺は住宅や商店が密集し、約4000人が暮らす町の中心部だった。しかし震災後、一帯は災害危険区域に指定され、家が新築できなくなった。住民は、造成された高台の住宅や町外に転居した。「中心から人がいなくなった。ドーナツみたいに」と佐藤さん。
駅前から500メートル離れた高台の災害公営住宅に移り住んだ女性(80)。以前は毎週、おんまえやに自転車で行く常連だったが、新店舗に足を向けたのは2回だけだ。「高台なので帰りが大変。バスもあるけど本数が少なくて」

佐藤さんによると、野菜の売り上げは半減し、米は10キロ袋より5キロ袋がさばける。弁当や総菜の売り上げは1・5倍に伸びた。客単価は震災前から250円ほど下がった。佐藤さんは「1世帯あたりの『胃袋』が小さくなった」ように感じる。
町の人口は震災直前の1万人から約4割減って6300人になり、1世帯の平均人数も2・6人から2・0人に低下した。この9年で復興を待ちきれない子育て世代が町外に出て、2~3世代の同居が減り、単身者の割合が増えた・・・

このような変化は、津波被災地だけでなく、日本中で起きていることです。連載「公共を創る」第48回で述べました。津波被災地では、徐々に進んでいた高齢化、過疎化が一挙に進んだので、それが目立ちます。