毎日の食卓はハレではない

5月24日の読売新聞、料理研究家の土井善晴さん、「家庭料理は「ケ」一汁一菜でいいんです」から。
・・・新型コロナウイルスの影響で、食をめぐる風景が変わった。外食を控え、自宅での食事が当たり前になったが、料理の回数が増えて作り手の負担となっている。多くの人を縛るのは、「家庭料理はかくあるべし」という固定観念だ。食文化を見続け、日本らしい食を提案する料理研究家の土井善晴さんはもっと日本人が生きやすくなるために、「一汁一菜」というシンプルなスタイルで「食の初期化」を説く。家庭料理の世界から見た日本社会の変化と多様性について語ってもらった・・・

・・・新型コロナウイルスの感染拡大は、食生活に大きな影響を及ぼしています。自宅で過ごす時間が圧倒的に増え、特に女性が家族のために食事を作る回数が増えました。SNSでは、「大変だ」「料理なんかしたくない」という内容のつぶやきもたくさん見かけます。女性が悲鳴を上げている。それでもなおかつ「料理を作らなければならない」と思っています。
日本社会が食べることに困らなくなり、ぜいたくが当たり前になって、家庭の中まで入り込んできた。レストランで食べる料理のように、味付けや完成度までが家庭料理の基準になってしまっているのです。
昭和時代は男性が働き、女性が家を支えるという、分業ができていました。その後、女性が外で働くようになり、一層忙しくなったにもかかわらず、家庭料理というもののハードルが非常に高くなっていきました・・・

・・・日本には、民俗学者の柳田国男が言った「ハレ」と「ケ」という生活習慣の概念があります。神様に祈り感謝する祭りなど特別な状態である「ハレ」のような食事を、多くの人が毎日の家庭料理にもイメージしているのです。家庭料理は日常である「ケ」です。毎日の食卓が華やかである必要はないのです。
料理をして食べることは、生きるための基本の行為。何かに強制されたり義務感で料理をしたりするのはつらい。生きることそのものまでつらくなりかねません。
でも、自分自身が核になるものを持っていれば、自信が持てるし、もっと自由になれる。そう考えたのが「一汁一菜」という提案でした。いわば「食の初期化」。持続可能なスタイルです。
ご飯を炊いて、具だくさんのみそ汁を作る。具は何でもいい。あとは漬物。料理の上手下手もないし、作り手に男女も関係ない。ひとりでできる。簡単であるけれど、手抜きではない・・・

・・・ネットの発達で数え切れないほどのレシピやグルメの情報があふれています。情報をだれでも簡単に集められるようになった一方で、大量の情報に踊らされるようにもなりました。幾度となく繰り返される「おいしい」という言葉や、「いいね」の数は情報を均一化、単純化させている。そして私たちの感覚をまひさせている。情報に頼る依存体質になってしまっています。
2018年に私のツイッターの写真が物議を醸しました。
「いただいた赤福のあさごはん。こんでええやん」と記し、伊勢名物のあんこのお菓子「赤福」とみそ汁の写真を載せたところ、「栄養のバランスがとれてない」「健康に悪い」「正しい日本の朝食じゃない」という内容が書き込まれました。
私は「なにいうてんねん。石頭やなー(笑)。こんなんときどき言いたい。どうぞ家の中の多様性を認めてください」と書きました。
栄養のバランスは一回では判断できない。たった一回のことだけで言うなと、ちょっと面白がって反論したのですが、それぞれが「正義」を主張する。
多様性の時代と言われながらも、実際には日本は多様性が認められていないんです・・・