見えざる手だけでは成り立たない経済

1月26日の読売新聞言論欄、堂目卓生・大阪大教授 の「誤解されっぱなしの経済」「見えざる手 その心は共感」から。

・・・みなさん、聞いたことがあるでしょう。富を分かちあう気のない人が、利己的に活動をしても、その方がかえって全体の富を増大させる、それがスミスのいう「見えざる手」だと。
これも、ある意味、誤解です。スミスは最初の著作「道徳感情論」(1759年)で、人が野放図に富の獲得を目指せば社会の秩序は乱れると論じます。そして富への欲望だけでなく、人間にあるもう一つの本性を使おう、その能力を使えば富を得ながらも富に囚とらわれず、心の平静を保つことができる、と書いています。
それが「共感」、シンパシーです。誰でも人が泣いていたら悲しいし、喜んでいたら一緒に笑いたくなる。こうした共感は、損得勘定とは別の能力で、人間に自然と備わっている。家族だったら自分だけ食べて、他の人に食べさせないということはしませんね。当然、分けあいます。他人でも目の前に飢えている人がいれば、自分が相手の立場だったらどんな気持ちになるか想像し、利他的な行動をすることもある。こうした共感によって自分の行動を制御することができれば、それぞれが自由な経済活動をしても、おのずから最低限の富が全体に行き渡る――これが「見えざる手」によってスミスがイメージしていたことだった、と私は考えています・・・

・・・では、なぜ、スミスは誤解されたのでしょう。それは蒸気機関の時代に生きたスミスの予想をはるかに超えたスピードと規模で科学技術が発達し、富と人口が爆発的に増え、物が豊かになり、消費が増えれば幸せになるという世界観が誕生したことにあります。
富や地位への野心は、勤勉、創意工夫などを通じて繁栄に貢献しました。一方で、物の豊かさに目を奪われ、目に見えない文化や習慣、伝統などは軽んじられました。そして、歯止めのかからない野心、利己心から、今や富は偏在し、少数の富裕層が世界の資産の大半を握り、貧しい人は置き去りにされています。その結果、他人を顧みない富の追求が経済だと誤解されるようになったのです。
こうした経済の学祖とされているのをスミスが知ったら、さぞかし不本意でしょう。同時に米中貿易紛争に見られるような保護主義的な介入を見たら、約250年前の重商主義時代となんら変わっていない、と嘆くでしょう・・・