よき死に方、よき生き方。佐伯啓思先生

7月6日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「死すべき者の生き方」が、勉強になりました。取り上げられているのは安楽死です。これも寿命が延びると重要なテーマですが、先生は、どのような死に方をするかは、その最後までいかに生きるかの問題だと提起されます。

近代社会では、「よき生」は問わずに、生きることが至上の価値とされ、生命の尊重が最高の価値となったこと。20世紀には経済成長と福祉が求められ、21世紀には医療技術と生命科学の進歩によって、あらゆる病気を克服して寿命を延ばすことが目標になったことを指摘します。

近代市民社会そして憲法は、各人の生き方については本人に任せ、国家が立ち入らないこととしました。そして、どのような死に方をするかもです。それは、宗教の世界であり、本人の信念とされました。
しかし現代では、宗教がかつてほど人の信仰を引きつけず、他方でどのように生きるかも教えてもらえません。道徳は、社会での行動の決まりは教えてくれますが、生きることの意味は避けます。

私たちが生きる意味を、そして死ぬ意味を、一人で悩むのはつらいことです。
近代市民社会は、宗教や迷信、親や社会の束縛から、自由になることを目指しました。しかし、それらが簡単になくなったわけではありません。西欧で革命が起きても、日本国憲法が施行されても、宗教などは根強く残っていました。それが、近代化が進むことで希薄になりました。市民社会の完成は、何にも束縛されない、そしてよりどころのない、「自由だけれど、孤立した不安な個人」を生みました。
ぜひ、原文をお読みください。

「公共を創る」を執筆する中で、この問題をどう取り上げるか、悩んでいます。宇野重規著『『私』時代のデモクラシー』を読み返しています。