合理的な人間ばかりではない、経済学の限界

12月18日の日経新聞オピニオン欄「揺らぐ世界情勢 打開策は」。

前田裕之・編集委員が、次のような問題提起をします。
「市場経済は多くの人を豊かにするが、金融危機、経済格差、環境破壊といった副作用を伴う。恩恵より副作用の方が大きいと感じる人が増え、資本主義や市場への批判が強まっている。別のシステムが見当たらない中でどうすればよいのか」

それに対する、岩井克人・国際基督教大学特別招聘教授の発言から。
・・・――経済学は問題の解決策を提示できないのですか。
「人間は合理的に行動するという仮説を立て、その自己利益追求が社会にとって良い結果をもたらすようなインセンティブ(誘因)の設定を考えるのが、主流派経済学の基本。それを基礎にしてミクロ経済学では契約理論やゲーム理論が発達し、さらには、人間は無限の未来に関しても合理的に予想できると仮定し、その予想が現在の行動のインセンティブを左右する視点を入れたマクロ経済学を生み、ともに一定の成果を生んだ。経済学の手法は政治学、社会学、法学などに広がった。ところが、経済学の方法論を極限まで進めた結果、従来の方法論では解決できない問題が逆に浮き彫りになった」

――その限界とは。
「ミクロ経済学は、すべての人間関係を契約関係として理論化してきた。2人のインセンティブが両立する関係だからだ。だが、社会には契約が不可能な関係が無数にある。老人の世話をする後見人、患者を手術する医者、法人としての会社を経営する取締役など、仕事を信頼によって任せざるを得ない関係であり、後者に忠実義務を課さなければ機能しない。ここでは自己利益を前提とする契約理論は有害ですらある。環境問題も、現在と将来の世代が契約を結べないから解決が困難なのだ」・・・