予算偏重の時代錯誤

日本社会が大きく変わったのに、行政や国民の意識が変化していないことの一つが、予算偏重です。
かつては、モノとサービスを増やすことが、社会でも行政でも大きな目標でした。豊かになる、便利になるという「国家目標」を達成するために、先輩たちはがんばりました。電化製品、自動車、そして道路や学校、病院。そのおかげで、世界でも最高水準の豊かさと便利さを手に入れました。

一通りのモノが行き渡り、サービスの仕組みもできました。すると、モノとサービスを増やすことは、行政の第一の目標ではなくなったのです。
予算があれば、モノとサービスを増やすことができました。よって、予算を増やすことが官僚の身近な目標でした。その要求を査定する、財務省や財政課が権限を持ちました(私も官僚人生の3分の1は、予算や地方交付税を査定し配分することをしていました)。
社会の問題は、お金では解決できないことが多くなりました。

いまだにマスコミが、財務省を「最強の官庁」と呼ぶのも、時代錯誤でしょう。マスコミが、意識改革に遅れているように思えます。
国会でも、予算委員会が花形です。しかし、審議している国政の重要事項は、外交や安全保障、政治のあり方です。「予算委員会」という名称はそろそろやめてはどうでしょうか。いわゆる「党首討論」は、「国家基本政策委員会」という名称です。このような名前の方が、ふさわしいと思います。