原発事故の責任とその後

5月14日の日経新聞、経済教室、橘川武郎・東京理科大学教授の「エネルギー基本計画の論点」から。

・・・日本の原子力開発は「国策民営」方式で進められてきた。福島第1原発事故のあと、事故の当事者である東電が福島の被災住民に深く謝罪し、ゼロベースで出直すのは当然のことである。ただし、それだけですまないはずである。国策として原発を推進してきた以上、関係する政治家や官僚も、同様にゼロベースで出直すべきである。しかし、彼らはそれを避けたかった。そこで思いついたのが、「たたかれる側からたたく側に回る」という作戦である。
この作戦は、東電を「悪役」として存続させ、政治家や官僚は、その悪者をこらしめる「正義の味方」となるという構図で成り立っている。うがった見方かもしれないが、その悪者の役回りは、やがて東電から電力業界全体、さらには都市ガス業界全体にまで広げられたようである。一方で、政治家や官僚は、火の粉を被るおそれがある原子力問題については、深入りせず先送りする姿勢に徹した

このように考えれば、福島第1原発事故後、政府が電力システム改革や都市ガスシステム改革には熱心に取り組みながら、原子力政策については明確な方針を打ち出してこなかった理由が理解できる。熱心に「たたく側」に回ることによって、「たたかれる側」になることを巧妙に回避しようとしたのである。誤解が生じないよう付言すれば、筆者は、電力や都市ガスの小売り全面自由化それ自体については、きわめて有意義な改革だと評価している。
結果として、福島第1原発事故後7年余りが経過したにもかかわらず、原子力政策は漂流したままである・・・