中根千枝著『タテ社会の人間関係』

連載「明るい公務員講座・中級編」で、日本の職場の生産性の低さを書きました。その際に、日本社会の特徴である「集団主義」を思い返すために、中根千枝著『タテ社会の人間関係』(1967年、講談社現代新書)と、『タテ社会の力学』(1978年、講談社現代新書。2009年、講談社学術文庫に再録)を読み返しました。
学生時代に読んで、なるほどと思った記憶があります。あの頃は、日本人論が、はやりでした。『タテ社会の人間関係』は、出版以来半世紀が経ちます。117万部を売り上げたベストセラーで、講談社現代新書でも売り上げナンバーワンだそうです。

他人とのつながりにおいて、資格でつながることを重視する社会と、場に参加することを重視する日本社会とを対比して、日本社会の特徴を浮かび上がらせます。
場に参加することを重視すると、ウチの者とヨソ者が区別されます。参加者は全面的な参加を要求されます。契約や資格によって参加していないので、長くその組織にいる者が上位に来ます。リーダーも権限によって構成員を指揮するのではなく、部下たちの同意によって動きます。

これが、先進国に追いつく際に、うまく機能しました。コンセンサス重視、決まったことはみんなで作業するです。
しかし、お手本がなくなったときに、逆機能になりました。コンセンサス重視は、頻繁な会議であり、しかもそこでは物事は決まりません。特に方向転換、改革はできません。上司も部下と一緒に働くことは、上司が判断しない、責任を取らないことにつながります。
あらためて、この本の切れ味の良さを確認しました。

私は、海外の職場での経験がないので、それらとの対比ができないのですが。多くの識者がこのような分析をしています。
日本人論の中には、稲作文化に起源を求めたものもありました。ムラの生活には、そのような面もあるでしょう。しかし、「タテ社会」は、稲作文化であるアジアの国には一般的ではないのです。稲作文化だけでは、説明できません。
では、なぜ日本で、タテ社会が発展したのか。多分、稲作文化の上に、江戸時代の鎖国・封建社会が、競争や流動性の少ない社会を生み、それがこのような特徴を育てたのでしょう。競争や変化が激しい社会、取引が重要な関係なら、タテ社会は発達しなかったでしょう。
それが、昭和の日本になぜ続いたか。それは、会社・職場が第二のムラとして機能したからだと思います。この項続く

(2冊とも、本棚のどこかにあるはずなのですが、見つからないので、買いました。これなら、読んだ本を捨てずに並べてあることは、意味のない行為です。反省)。