手厚い支援や賠償が自立を妨げる面も

2月25日の朝日新聞別刷りbe「フロントランナー」は、福島県浪江町の、川村博さんです。原発事故で避難指示が出た区域ですが、立ち入りが可能になった土地で花作りをしておられます。
・・・今春、避難指示が解除される予定だ。楽観はしない。「元通りにはならない。町外の人が、浪江に住みたいと思える魅力をつくらないと」。冷静に見る背景には「住民が変わってしまった」と思う、つらい経験があった・・・
・・・育てた野菜から放射能が検出され、憔悴していた2013年。浪江町の数人から、忠告された。
「勝手に戻って農業なんかするな」
当時、町を挙げて、東京電力が払う慰謝料(1人月10万円の賠償金)を増やせと、集団申し立てをしていた。避難指示がいつ解除されるか全く見通しがないのに、復興が進んでいるように東電から見られると、賠償が減らされる、という心配だ。
「復興は遠いなあ」。肩を落とす。その前にも悲しい経験がある。
原発事故から10か月後、福祉の経験を生かし、福島市などにある浪江町民向けの仮設住宅で、避難者を支援するサポートセンターの運営を始めたときだ。
ふるさとでの畑仕事を懐かしんでいた避難者のため、仮設周辺の畑を借りた。1年目は数十人が農作業に参加した。それが2年目になるとパッタリ。「都会の生活に慣れ、昔の暮らしに戻れなくなっていた」
仮設住宅には、全国から多数の支援団体が訪れる。避難者は物資などには困らなくなる。一件良さそうだが、手厚い支援や原発賠償の制度には、自立するきっかけや、ふるさとに戻る意欲をそぐ面もある・・・
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