高齢化社会、社会の変化と意識の変化

先日(1月6日)、「高齢者は75歳以上」で、「課題は、75歳までの人たちに、活躍の場を提供することです」と書きました。私たちの寿命が延びることは望ましいのですが、二つ条件があります。一つは健康でいることと、もう一つは生きがいを持って生きることです。そして、後者は個人で趣味に生きることだけでなく、社会での「位置」も必要でしょう。元気な高齢者が、毎日趣味だけで時間をつぶすのは、難しいでしょう。皆が皆、それをできるとは思えません。

すると、個人に任せるだけでなく、高齢者の「活躍場所」を社会で用意する必要があります。活躍できる場を与えるということです。少しずつ定年を引き上げてきたのですが、それですべての高齢化を引き受けることは難しいようです。
今回の老年学会の提言での「65歳から74歳までの人たちを准高齢者と位置づける」ことは、一つの良い方法だと思います。全員が、現役を続けると若者の出番を取ってしまいます。他方で現役並みに仕事を続けるのは、すべての人にとってはしんどいでしょう。「准」という移行段階を設営するのです。それは、個人にとっても、社会にとってもです。その受け皿を、個人に任せるのではなく、意図的に設計するべきでしょう。
個人の寿命が延びるという事実の変化に対して、社会や意識を変える、制度を変更する必要があります。その際に、意図的に制度を変えるか、少しずつ微修正を加えていくか。高齢化が進み、元気な高齢者が増えている事実に対し、社会の制度と意識は追いついていないようです。

また、「時間」という要素が重要です。短期間に劇的に変化するか、緩慢に時間をかけて変わるかです。劇的な変化は認識されやすいのですが、緩慢な変化は意識しないと分かりません。「いつの間にか変わったなあ・・」とです。そして緩慢な変化に際して、社会の制度や意識が追いつくか、先取りするかです。
緩慢に高齢化が進んだ国・社会と、急速に進んだ国・社会とがあるのです。例えば、高齢化率が7%から14%になった「倍加年数」を比べると、フランス115年、アメリカ72年、イギリス46年に対し、日本は24年です(国立社会保障・人口問題研究所人口統計資料集)。なお、韓国は18年、中国は24年です。緩慢に進むと、徐々にそれに会わせて社会も変わるのでしょう。しかし、急速に進むと、制度や意識をそれにあわせて変えることは、重要になります。

年金制度や年金財政については、高齢化を意識して整備、改正を加えてきました。介護保険と老人ホームなども、整備しました。問題はあるのですが、ひとまず用意されています。課題は、このようなお金と設備とサービス以外の、生きがいの場を社会としてどのように用意するかです。そして、高齢化では年齢や比率で、日本が世界の最先端を走っています。単に老人が多いだけでなく、その高齢者が生き生きとしている社会をどのように作っていくかです。