覇権国家イギリスを作った仕組み

近藤和彦著『イギリス史10講』(2013年、岩波新書)が、とても面白く、勉強になります。昨年出版されたとき、私はその表題を見て、「エピソードの羅列かな。いずれ読もう」としか考えていませんでした。大きな間違いでした、失礼しました。
先日紹介したように、先生は、グローバル化をきわめて簡潔に説明するとともに、世界史が20世紀に入って書き直されたことも簡潔に説明しておられます(2014年7月6日の記述)。
特に、17世紀以降の分析がすばらしいです。イギリスが、社会の課題や亀裂を、どのようにして解決していったか。それが、遅れた小さな島国を、政治経済の先進国、世界帝国に持ち上げるのです。勉強になる点を、いくつか紹介します。

1 その前段として、イギリスは複合的な社会です。日本と同様、大陸から適度の距離のある島国であり、歴史も古いです。しかし、はるかに複合的な社会です。この指摘も、目から鱗です。古くは地理的にはアイルランドやスコットランド、社会的には階級、新しくは植民地からの移民の流入など、いくつもの亀裂があります。それを統合する努力が必要なのです。それが、「社会を作る努力」や「政治」を作ります。これは、アメリカ合衆国にも当てはまります。
・・じつはブリテン諸島の住民は、有史以来、多民族からなっていた。イギリスという国の連邦制と社会の複合性には歴史があって、それを反映して、人々の顔立ちも国土の景観も変容をこうむってきた。イギリス人は過去と現在ばかりでなく将来にわたって、連邦制、複合性、多様性を守り続けるだろう。本書の課題の一つは、これを歴史的に説明することにある・・(p9)
・・こうしたもろもろの結果として、イギリスは複合社会である。ロンドンやグラスゴーの街角に立ってみれば、このことは紛いようもない。イギリスには、「単一民族国家」や「一にして不可分の共和国」といったものとは異なる政治社会が成り立ち、今日、さらに多様性(ダイヴァーシティ)の促進が唱えられている。その政治社会はコスモポリタンだが、国家と個人とのあいだに「民間公共社会」ともいうべき要素がしっかり根付いている・・p9

2 そして、近世になって、議会が社会の課題や亀裂を解決する役割を担います。
それが、イギリスにおいて産業革命から覇権国家を生んだことの分析になっています。当時のイギリスの指導者達は、そのような結果を見通してはいなかったのでしょうが、社会の統合と安定、地域の統合、自由な市場経済を支える仕組みが、他国より早く整ったのです。
・・議会という統治機関、交渉と合意の闘技場は、17世紀の経験を経て国民的=全国的な意志の決定機関として展開する。1689年以来、毎年開かれる議会では、国制、税制、外交、予算、決算といった大きな問題ばかりでなく、ローカルな請願により囲い込み、農漁業の助成、特定産業の保護規制、鉱山、運河、都市空間の整備、公益団体の設立などを審議した。議員は、与野党に分かれて地元や利害関係者のロビーイングをうけ、立法によって議会の、すなわち国民の意志を決した・・p158
この項続く