閉ざされた組織が、知の創造を断つ・その3

引き続き、野中郁次郎先生のインタビューです。
・・1972年にアメリカから帰り、日本企業の技術革新を研究しました。アメリカで学んだのは、物事を分析的に計量し、情報処理した結果が経営判断につながるという考え方でしたが、現場に入ってみると、そうでもない。
ホンダの小型車やキャノンのプリンター、富士ゼロックスのコピー機など、画期的な製品の開発者に聞くと、「私はこれがやりたいんだ」とまず語るのです。最初に個人の直観や主観があって、その信念や価値を組織にぶつけ、説得しながら形にしていく・・

そうですね。目標を与えられて、それを達成する効率的な方法を考える場合なら、分析的手法が役に立つでしょう。そして、その思想で設計された工場では、マニュアル通りに作業をすることが効率的です。
しかし、新しい製品やこれまでにないサービスは、分析的手法からは生まれません。これまでの傾向線を延長しても、新しいものは出てきません。
それはまた、先進国に追いつく際の手法=お手本を効率的にまねることと、先進国に追いついた後の前進=自分で考える際に必要な思考との違いでもあります。

「アメリカ流がダメなら、アメリカ企業もダメになるのではありませんか」という問に対しては。
・・アメリカ流がダメと言うより、日本の完璧主義、過剰適応が問題なのです。アメリカは基本的に実用主義(プラグマティズム)です。とにかくやってみようということです。ルールは状況に応じて柔軟であるべきだと考え、実はおおざっぱ。そうでないと、リスクもとれないしベンチャー精神も発揮できない・・

うーん、これが正しいとすると、アメリカ流の経営学を日本に広めているアメリカ帰りの学者さんと、アメリカに留学してそれを持ち帰っている企業の幹部候補生の罪は大きいですね。失礼。