閉ざされた組織が、知の創造を断つ・その2

引き続き、野中郁次郎先生のインタビューです。
「経営の近代化とは、暗黙知をマニュアルのような形式知にして科学的に経営することだ、と多くの人は考えていませんか」という問に対しては。
・・それは間違いだと思います。全部チェック、チェックと過剰にやったらチェックリストになってしまう。これでは、「マニュアルに書かれていないものがあるのではないか」「このようなマニュアルになった背景は何か」などと、現場で状況や文脈に応じて適時適切に判断する「実践知」が働かなくなる・・
すべてを科学的に分析し、経営することは不可能でしょう。
私もかつては「経営は科学だ」という旗を振っていた一人でした・・いまでもこの考え方は主流で、ビジネススクールでも客観的に分析的にルールやモデルを作らなければいけないと教えています。しかしそこから何が起きるのか。
人としての倫理、会社な何のために存在するのか、といった主観の部分が抜け落ちてしまいます・・

ご指摘の通りです。マニュアル化できる部分は、できる限りマニュアル化すべきです。「私も先輩のやり方を見て、見よう見まねで覚えたから、あなたもがんばってね」という「体育会系後輩育成論」は、私の最も嫌いな流儀です。
しかし、マニュアルの限界は、明らかです。マニュアルに沿って仕事をしている人は、それを外れた事態に対処できません。そして、新しいマニュアルは、書けないのです。さらに、その仕事は何のためにやっているのかという、目的意識がなくなります。
決められた仕事をする従業員は、マニュアルに沿った仕事で良いのです。しかし、管理職やリーダーは、マニュアルにない事態が生じたときそれを処理すること、マニュアルを書き換えること、マニュアルにないことを考えることが仕事です。法律に基づいた仕事をすることと、問題が生じたので法律を書き換える仕事の違いです。「前例がありません」と言うのか、「前例がないので、こうします」というのかの違いでもあります。