原発避難区域視察

今日は、復興大臣のお供をして、南相馬市と浪江町に行ってきました。南相馬市は、南部地域(小高区)の警戒区域が16日に解除され、避難解除準備区域になりました。警察による検問がなくなり、自由に行くことができます。ただし寝泊まりはできません。
この地区は、地震と津波被害が大きく、ガレキの片付けや壊れた住宅の再建も、これからです。上下水道も壊れているので、これを修理しないと住むことはできません。
一方、浪江町は、大半がまだ警戒区域です。爆発当日の風向きと雨の関係で、浪江町に多くの放射性物質が落ちたのです。町に入る際に、警察の検問があり、各自が首から積算線量計をぶら下げます。
線量の高いところで、車から降りる際には、防護服を着ます。といっても、放射線を防護するものではありません。放射性物質を取り込まないためで、頭に帽子のようなものをかぶり、上着とズボンの上にカッパのようなものを着ます。ビニールのカッパを想像してください。マスクと手袋をして、靴にもカバーを掛けます。全て使い捨てです。
もっとも、既に放射性物質(セシウム)は、土やアスファルトに強くくっついていて、風が吹いたくらいでは飛んできません。飛ぶくらいのものは、これまでの雨や風で流されているのです。町を出た後、防護服を脱いで測ってもらいましたが、私の体(服)も靴の裏も、なんともありませんでした(自然状態と同じという意味です)。
除染は、土をはぎ取ったり、高圧の水で流します。建物や道路は比較的簡単ですが、山林は困難です。自然減衰と雨による洗い流しを待つところも多いです。もっとも、半減期と雨によって、急速に放射線量は下がっているようです。
桜やモクレンが花盛りで、野良牛も集団でのんびり草を食べていました。