短命政権を生み、捨てる社会

11日の日経新聞経済教室、山崎正和さんの「指導者は難題と向き合え」から。
・・何より気がかりなのは、これらの(民主党の)公約が目先の変革にのみ重点を置き、永続的な国益や目標を無視していることである・・素人でもわかる長期的な視点の欠如、国策の連続性への関心の鈍さが異様なのである。そしてこの鈍感さを最大限に露呈したのが、防衛問題であるのはいうまでもない・・この問題の惨めな結末はすでに明らかだから、私にはあらためてこれをあげつらう興味はない。
それよりも注目に値するのは、なぜ民主党が革命にも似た変革を掲げ、国民も雪崩を打ってそれを支持したかという疑問である。国民の変化への要求はこのところ性急さを増し、内閣支持率は激しく上下動を繰り返して、そのたびに短命政権が生まれては消えた。政党を問わず指導者は小粒になったように見え、選挙民はこらえ性がなくなった気がする。これはいったい、文明と社会のどのような問題の反映なのだろうか。
まずいえることは、現代日本の真の課題が深刻なものばかりになり、経済の成熟、少子高齢化、環境破壊、技術開発の停滞など、時間がかかる困難が急増したという点がある。グローバル化の下で政府のできることは小さくなる一方なのに、うすうすそれを感じる国民はいらだちを強め、せめて見かけ上の変革を性急に求める方向に走った。
同時に、長く続いた冷戦が終わったことによって、個人の政治的アイデンティティー、心のよりどころとしての政治的立場が揺らぎ始めた・・
第3に、都市化の進行が人びとから故郷や近隣社会を奪い、よかれあしかれ多数の国民を孤独な群衆にした。とくに日本では、グローバル化が企業の枠組みを弱くして、企業という伝統的な帰属感の対象が動揺したことが大きい。典型的な大衆(マス)社会に投げ出された日本人は、信頼できる顔の見える隣人を失い、流行とか世間の空気といった目に見えない趨勢に流されやすくなった・・
こうした社会状況の下で起こりがちなのはポピュリズム(扇情政治)だが、現代の日本には雄弁な扇動家は現れにくいから、ここに「リーダーなきポピュリズム」とも呼ぶべき珍現象がみられることになる・・
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