日本はどこへ行くのか・その6

日本の国民とリーダーが克服しなければならない課題に、もう一つのものがあります。それは、現代社会の不安です。これは日本に特有の課題ではなく、現代の世界の先進国に共通の課題です。
現代社会の不満と不安は、豊かになったことで生まれてきました。豊かになったことで見えてきた不安であり、課題です。貧困が人類の最大の敵だった時代は、貧困との闘いがその他の課題を隠しました。しかし、豊かになったことで、経済成長は幸せのすべてではなくなりました。
近代とは、産業・科学技術・経済が進めば幸せになるという思想の時代でした。そして、イエ(血縁共同体)、ムラ(地域共同体)、身分といった「前近代」の束縛から、解放され自由になることでした。さらに進むと、疑似家族であるカイシャ(会社、職場)から自由になることでした。
それは、家族、親族、地域共同体、会社などの絆を希薄にしました。そこに見えてきたのは、不安な個人です。束縛や伝統は不自由ですが安心をもたらします。自由は個人の才能を発揮させますが、不安をもたらします。近代が進むにつれて、近代はバラ色ではなくなったのです。
これをどのように、克服するか。近代・現代社会が、私たちに突き付けている大きな課題です。
2 政府とリーダーの役割=痛みの明示と負担の配分
このように、戦わなければならない大きな課題は、「日本人の思考形態」と「近代社会の不安」の2つです。もちろんその他にいろいろな課題がありますが、その基底にはこの二つがあるのです。
そこで、政府とリーダーは、何をしなければならないか。まずは、痛みを国民に理解してもらうことです。
今までの政治は、右肩上がりの経済社会を背景に、利益を配分することでした。さらに、低成長になってからは、負担を先送りしています。しかし、今のままでは、財政と年金は破綻します。世代間の大きな不公平を、生み続けています。高度成長期の思考から、抜け切れていません。
これまでは所得再分配と言っても、既存所得を取り上げるのではなく、増分から拠出してもらいました。それを、貧しい人に配りました。痛みは少なかったのです。しかしこれからは、増分が大きくないと、既存所得から拠出してもらうことになります。不利益の配分なのです。
そして、その他の改革にも、痛みが伴います。多くの社会集団は、これまでの仕組みの中で存在し、利益を上げてきました。利益を失う改革には、反対します。
二回の転換期には、不利益を被った人たちも、たくさんいました。明治維新に際しては、武士階級は一夜にして失業しました。人口にして、6~7%もの人と家族です。新しい商工業が入ってきて、商人や職人のなかに、仕事を失った人も出ました。戦後改革の際には、軍人は失業し、地主や富裕層は財産を失いました。それを、国民に納得してもらわなければなりません。
戦後半世紀、日本は大成功したが故に、このような不利益の配分や改革の痛みを知らずにすみました。政治は、痛みと負担を国民に示したことがないのです。
開国による痛みには、このほか国際貢献の負担、一国平和主義から脱却するに際しての痛みもあります。
抜本的改革を唱える人が多いですが、その際には不利益を被る人がいること、負担を求められることを、説明してもらう必要があります。そしてリーダーには、その国民の不満を回収・吸収することが求められます。
国民の多くは、これまでの成功体験を捨てることは、できません。
最近の記事に、日本が中国に追い抜かれることを、取り上げた記事が目につきます。それは、日本がこの150年の間に、追い抜くことはあっても、新興国に追い抜かれることはなかったからです。日本特殊論、日本異質論は、それによって日本が成功したという説であっても、だから日本はダメなのだという説であっても、心理は同じです。「日本人は優秀であり、世界に認めて欲しい」ということでしょう。その自負を持ちつつ、新たな展開が必要です。(この項続く)