公務員の評価

今日は、評価について、考えていることを書いてみます。公務員制度に対する批判の一つが、「公務員の評価がなされていない」ということです。しかしこれも、実はあいまいな話です。議論を整理してみましょう。今回も、正確さを捨てて、わかりやすく大胆に切ってみます。
(昇進選抜のための評価)
実は、評価はされているのです。昇進について言えば、次官まで出世する人、局長までなる人、課長になる人、なれない人と、評価はされているのです。これは上級職だけなく、Ⅱ種Ⅲ種の人たちや地方公務員もそうです。そして、本人の不満や周囲の批判もありつつ、たいがいの場合は「やはりあの人が出世した」「あの人は無理だよな」と、落ち着くところに落ち着きます。このように、昇進の選別のための評価は、有効に機能していると思います。もっとも、これも物差しがないので「有効ではない」との批判があれば、水掛け論になりますが。しかし、評価がされていることは、間違いありません。
その際、問題なのが、官僚(国家公務員上級職と思ってください)の、同一年次一律昇進です。同期は、係長・課長補佐・課長と、ほぼ同時期に昇進します。職員採用勧誘パンフレットなどに、「入省後何年で係長」とか書いてありますね。そして、後輩年次との逆転は、まずは起こらないのです。もちろん、課長補佐でも、重要なポストかそうでないかの差はつきます。また、課長以降すなわち審議官・局長には、なれない人が出てきて、差がつきます。なれない人は、いわゆる天下り=第二の職場へ転職するのです。ポストがたくさんないと、このような一律昇進は難しいです。また、年次を超えた実力評価は、されていないということです(地方団体では、一律昇進は、まずは行われていません)。
全員を途中まで同じように処遇することで、みんなががんばるというメリットがあります。逆に早い段階で選別すると、ふてくされる人が出てきます。
(給料への反映)
これは、先日(1月25日の項)書きました。これまでは、給料・昇級・ボーナスに、そんな差はつきませんでした。その点、部下の成績で給料に差をつけることのできない管理職は、民間で言う管理職ではない、ということです。今年から、少し制度は改革されました。しかし、上に書いた「一律昇進」を続ける限りは、限界があります。
(仕事をさせるため)
官僚についていえば、「よく働いている」「残業もいとわない」という評価が一般的です。給料に差がつかなくても、昇進のために、あるいは信念でよく働くのでしょう。すなわち、評価が昇進選抜のためなら、今も機能しています。給料に差をつけるためなら、これまでは意味がありませんでした(仕事をしない職員にはどうするか。これは一律昇進で競わせる官僚とは、別の問題になります。昇進と給料でもっと差をつける=ムチをあてるのでしょうか)。
(何で評価するのか=100点は何か)
ここから、現場にいる官僚には、より大きな疑問が出てきます。これから評価を厳しくするとして、何で評価されるのだろうか。上司としては、部下を何で評価して良いのだろう、ということです。もっと直截に言いましょう。「与えられた仕事を片付けて、早く帰宅したらだめなのか」です。部下を評価する書類(様式)には、評価すべき項目が並んでいます。それはそれで意味があるのですが、職員の業績評価の一番の基準は、「与えられた仕事を達成したかどうか」でしょう。
しかし、各人には職務内容書(ジョブ・ディスクリプション)が示されていません。「あなたは、今年1年で、これこれの仕事をしなさい」(達成したら給料を満額払う。それ以上やったらボーナスをはずむ。しかし、達成しなかったら減額し、来年は降格する)とは、指示されないのです。何メートル走ったらゴールがあるのか、分からないマラソンをしているようなものです(定型業務、去年と同じようにやっておれば良い業務なら、わかりやすいですが)。
ゴールの分からない競争をするとどうなるか。上司としては、相対評価で評価するしかありません。「周りの人よりよくできる」です。それと組織への忠誠度です。和を乱す人は困ります。これらは、人物評価であっても、業績評価ではありません。人物評価と業績評価の二つは、別物なのです。もっともこれは官庁だけでなく、日本の多くの民間企業(内部管理・企画部門)に共通した問題だと思います。さて、これらの問題は、「大部屋主義」と連動しています。これについては、次回に。